六郷政晴
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| 時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
|---|---|
| 生誕 | 延宝3年(1675年) |
| 死没 | 寛保元年3月27日(1741年5月12日) |
| 改名 | 庄之助(幼名)、政晴 |
| 戒名 | 善性院法誉祖蓮 |
| 墓所 |
東京都台東区西浅草の万隆寺 秋田県由利本荘市給人町の永泉寺 |
| 官位 | 従五位下、伊賀守、阿波守 |
| 幕府 | 江戸幕府 |
| 主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗 |
| 藩 | 出羽国本荘藩主 |
| 氏族 | 六郷氏 |
| 父母 | 父:六郷政信、母:牧野康成の娘 |
| 兄弟 | 政晴、三枝守相正室、松平康郷正室 |
| 妻 |
正室:牧野成貞の養女 側室:笹瀬氏 |
| 子 | 政英、政長、政蔭、玉子、万里、生駒親賢婚約者、小堀政寧正室ら |
六郷 政晴(ろくごう まさはる)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。出羽国本荘藩の第4代藩主。官位は従五位下・伊賀守、阿波守。