康公12年(前609年)春、康公が薨去したため、子の稲(とう)が立って秦君(以降は共公と表記)となった。
共公元年(前608年)冬、晋が秦の同盟国である崇に侵攻した。
共公2年(前607年)春、秦軍は前年の報復として晋を攻撃し、焦(晋の邑)を包囲した。9月、晋の趙穿が主君の霊公を殺した。
共公3年(前606年)、楚の荘王が強盛となり、北上して周都の雒(洛邑)へ進軍し、周の鼎(かなえ)の軽重を問うて天下を乗っ取ろうとはかった。
共公5年[1](前604年)春、薨去し、子の桓公が立って秦公となった。