兼重元続
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| 時代 | 戦国時代 - 江戸時代前期 |
|---|---|
| 生誕 | 永禄3年(1560年) |
| 死没 | 元和6年6月16日[1](1620年7月15日) |
| 改名 | 兼重千鶴丸[1](幼名)→兼重元続 |
| 別名 | 通称:弥三郎[1]→左衛門尉[1]→五郎兵衛尉[1] |
| 官位 | 和泉守[1](受領名) |
| 主君 | 毛利輝元→秀就 |
| 藩 | 長州藩 |
| 氏族 | 大江姓毛利氏庶流兼重家[2] |
| 父母 | 父:兼重元宣[1]、母:粟屋伊豆守の娘[1] |
| 妻 |
正室:赤川元秀の娘[1] 継室:国司元武の娘[3] |
| 子 | 元辰[1]、女(照林坊室)[1]、女(長屋就之室)[1]、女(羽仁彦左衛門室)[1]、女(楢崎元景室)[1]、女(平佐就重室)[1]、元可[1] |
兼重 元続(かねしげ もとつぐ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。毛利氏の家臣で、長州藩士。家格は物頭組、890石。父は兼重元宣。