内山篤
日本のサッカー選手・監督
From Wikipedia, the free encyclopedia
内山 篤(うちやま あつし、1959年6月29日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。元ジュビロ磐田監督。ポジションはミッドフィールダー。静岡県出身。実兄の内山勝も元サッカー選手。
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| カタカナ | ウチヤマ アツシ | |||||
| ラテン文字 | UCHIYAMA Atsushi | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1959年6月29日(66歳) | |||||
| 出身地 |
静岡県清水市 (現・静岡市清水区) | |||||
| 身長 | 167cm | |||||
| 体重 | 60kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| ユース | ||||||
| 1975-1977 |
| |||||
| 1978-1981 |
| |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1982-1992 |
| 195 | (18) | |||
| 通算 | 195 | (18) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1984-1985[1] |
| 2 | (0) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2007-2008 |
| |||||
| 2015-2017 |
| |||||
|
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
経歴
国士舘大学サッカー部を経て1983年に日本サッカーリーグ1部のヤマハ発動機(現 ジュビロ磐田)に入部。中心選手として1987-88シーズンに同サッカー部の日本サッカーリーグ初制覇に貢献した。日本代表としてもワールドカップ・メキシコ大会(1986)予選など、国際Aマッチ2試合に出場した[1]。
現役引退後は指導者の道へ進み、2004年から古巣の磐田に復帰し、ユース監督に就任。2004年の高円宮杯で準優勝し、大量6人の選手をトップに昇格させるなど実績を積む。日本サッカー協会公認 S級ライセンスを取得している。
2007年、トップチームコーチ兼サテライト監督に就任。同年9月には、アジウソン監督の辞任を受け、トップチーム監督に就任している[2]。しかし黄金期の磐田を復活させると言う看板を掲げての采配で結果を出せず、2008年8月28日、16位と言う成績不振を問われて解任された[2]。
2013年よりアンダー世代の日本代表のコーチを歴任し、2014年にU-19日本代表のコーチとしてU-19アジア選手権に参加。本大会出場を逃した鈴木政一の辞任を受けて翌年からU-19日本代表の監督に就任。
2016年、U-19アジア選手権で準々決勝を突破し、10年ぶりとなるFIFA U-20ワールドカップ出場へ導いた。
所属クラブ
個人成績
代表歴
指導歴
- JFAナショナルコーチングスタッフ
- 1992年 - 2008年 : ジュビロ磐田
- 2013年 - : U-17日本代表、U-18、19、20日本代表
- 2013年 : U-18日本代表コーチ
- 2014年 : U-17、U-18日本代表監督
- 2014年 : U-19日本代表コーチ
- 2015年 - 2017年: U-20日本代表監督