冒険大活劇 黄金の盗賊
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あらすじ
伝馬町の牢に捕らえられていた稲妻の伝次と木鼠の吉三の盗賊コンビは、ともに20年前の関ヶ原の戦いで豊臣方が軍用金を琵琶湖に隠したあとに大爆発が起こる悪夢にうなされた[2]。これを聞いた勘定奉行の滝野典膳は2人を無罪放免とし、300両の軍用金を山分けにすることを条件にその捜索を2人に命じる[2]。
彦根城下の宿・楽々亭を拠点に琵琶湖の島へ渡った2人は、夢の中で血まみれの足軽として現れた漁師の三郎兵ヱを見つける[2]。しかし、島の娘から、島の中央にある山伏の霊場が石田三成の残党の隠れ家であり、彼らも軍用金を狙っていると知り2人は逃げ帰る[2]。さらに戻った楽々亭の主人夫婦も幕府の命を受けた公儀隠密であった[2]。生き証人の三郎兵ヱを巡る三つ巴の争奪戦の末、300両は幕府に押収されてしまう[2]。
20年後、初老を迎えた伝次と吉三は、諦めることなく江戸城の御金蔵襲撃を画策するのであった[2]。
キャスト
スタッフ
製作
企画
当時の東映京都撮影所長・岡田茂が『大忍術映画ワタリ』を受け[4][8]、時代劇復興の望みを込め、時代劇の一路線として「特撮シリーズ」の路線化を決め[8]、特撮娯楽時代劇第二弾として本作を企画した[1][8][9]。製作発表は1966年夏で、本作と特撮時代劇第三弾『怪竜大決戦』は同時に製作発表があり[9]、本作は仮タイトルを『黄金島』、『怪竜大決戦』は『自雷也』と発表した[9]。岡田は本作の企画経緯を「特撮映画といえば主に子供を対象にした作品だけのように思われがちであるが、これは大人にも楽しめる立派なものである。ブルー・バック使用による映画製作は欧米では常識化している。従って特撮カットも6カットなどと切り詰めず、堂々と40カット位を占め、特撮で楽しめる映画を作る。『黄金島』は仮題だが、関ヶ原合戦後二十年、幕府の隠密と鍵を握る毛利藩士との争奪戦を描く活劇であり、また『自雷也』はテレビで放映した作品中に『妖蛇の魔術』が視聴率20%以上というのにヒントを得て、時代逆行的ではあるが、映画化に踏み切った。何と言っても時代劇復興は東映が本家と照れずに理屈抜きで面白い作品を作っていきたい」と話した[9]。この発表後にタイトルは『謎の黄金島』と変更され[9]、6月下旬に京都で撮影を開始し、『海底大戦争』と二本立てで1966年9月一週に公開を予定していると報じられた[9]。『海底大戦争』は映画誌の1966年7月号に9月一週の公開と紹介されながら[9]、1966年7月1日の公開前倒しだった。本作『黄金の盗賊』は1966年12月11日から12月20日までの9日間、『怪竜大決戦』は1966年12月21日から12月29日までの高倉健主演の正月映画『網走番外地 大雪原の対決』北島三郎主演の『兄弟仁義 関東三兄弟』二本立て前の8日間の興行だった[9]。
キャスティング
主演の松方弘樹は東映を退社した中村錦之助(萬屋錦之介)、テレビに活動を移した大川橋蔵に代わって東映京都を背負うと期待されていた[5]。相棒役の大瀬康一は東映では3本目の映画出演。藤山寛美はこの年、負債を抱えて自己破産し松竹芸能をクビになり、岡田に泣きついて東映作品に出演し生活をしのいでいた時期[10]。東映映画の出演は約30本に及ぶ。女性キャストでは東映では佐久間良子が使い辛く[11]、三田佳子も「企画に恵まれない」などと散々揉めて1967年3月に東映を退社し[12]、藤純子は絶対に脱がないし[13]、宮園純子はパンチ力不足で[13]、女優が不足し[11]、当時日活の専属女優だった野川由美子が[11]東映に貸し出され[11]、以降の「夜の歌謡シリーズ」など出演映画の興行成績が良く[11]、色気もパンチ力もある野川がよく東映に起用され、「あなたは東映の人ですか」と言われるほど東映づき[11]、野川自身も親東映派を任じた[11]。『仁義なき戦い 完結篇』でのヒロインはこの流れによるもの。