出入橋

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出入橋(2013年8月撮影)

出入橋(でいりばし)は、かつて大阪府大阪市北区に存在した水路(梅田入堀川)に架かっていた。現在は水路は埋め立てられたが、出入橋交差点や出入橋バス停などの地名にその名を残すほか、橋そのものは現存している。

明治になり鉄道が開通すると、鉄道が運輸の主役となったが、駅から工場や商店など需要家への輸送は水運が重要な役割を担っていた。両者の連絡のために貨物駅には船溜まりが設置されるのが常だった(日本鉄道秋葉原駅など)。

大阪駅構内にも同様に船溜まりが設けられ、曾根崎川(のちに堂島川まで延長)から大阪駅まで川幅約45メートルの水路(梅田入堀川)が引かれ、鉄道と水運との連絡が図られた。なお、この水路は堂島川から駅の手前までが「堂島掘割」、駅構内が「梅田入堀」と呼ばれた。この水路に架けられた橋が出入橋であり、船が「出入り」することからこの名がつけられた。

歴史

石畳の敷かれた出入橋の路面
石畳の敷かれた出入橋の路面(2013年)

大阪駅の船溜まりは1876年明治9年)6月[1]に開削され、出入橋が設けられた。大正初期には大阪駅を発着する貨物の六割以上が舟で運搬されており、一日あたり平均約260隻が発着した[1]。大阪駅は1928年(昭和3年)に旅客専用駅となり、船溜まりに隣接して貨物駅梅田駅が設けられている。

橋は1935年昭和10年)に架け替えられている。戦後、駅からの二次輸送が舟から自動車に変わり、船溜まりは埋め立てられてトラックの置き場やコンテナヤードに姿を変えた。堂島掘割はその後も1963年(昭和38年)頃まで残っていた[1]が、阪神高速空港線(現在の池田線)建設にともなって埋め立てられた。その際にも出入橋は取り壊されず、役目を終えた状態で残されている。

また、1926年(昭和3年)に開通した阪神国道が堂島掘割を越える橋は「新出入橋」と命名され、昭和60年頃には姿を留めていたが[1]国道2号の拡幅により失われた。

脚注

参考文献

関連項目

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