利根川進

日本の生物学者 (1939 - ) From Wikipedia, the free encyclopedia

利根川 進(とねがわ すすむ、1939年昭和14年〉9月5日 - )は、日本生物学者マサチューセッツ工科大学教授(生物学科、脳・認知科学科)、ハワード・ヒューズ医学研究所研究員、理化学研究所脳科学総合研究センターセンター長、理研-MIT神経回路遺伝学研究センター長。京都大学名誉博士。学位はPh.D.カリフォルニア大学サンディエゴ校)。

概要 利根川 進, 生誕 ...
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概要 ノーベル賞受賞者 ...
ノーベル賞受賞者 

受賞年: 1987年
受賞部門: ノーベル生理学・医学賞
受賞理由: 『多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明』
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概要 ラスカー賞受賞者 ...
ラスカー賞受賞者
受賞年: 1987年
受賞部門: アルバート・ラスカー基礎医学研究賞
受賞理由: For brilliantly demonstrating that the DNA responsible for antibody production is routinely reshuffled to create new genes during the lifetime of an individual[1]
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1987年V(D)J遺伝子再構成による抗体生成の遺伝的原理の解明によりノーベル生理学・医学賞を受賞した。分子生物学免疫学にそのバックグラウンドを持つが、近年は、脳科学神経科学にもその関心を広げ[2]Cre-loxPシステムを用いたノックアウトマウスの行動解析等による研究で成功を収めている。

経歴

生い立ち

父は機械工学エンジニアで天満織物(現シキボウ)に勤めており[3][4]、当時家族は大阪に住んでいたが、進は母の実家・愛知県名古屋市で生まれる[3]。利根川家はもともと備後国(現在の広島県東部)福山藩家臣[4]、曾祖父・利根川浩は福山誠之館中学(現広島県立福山誠之館高等学校)の2代目校長などを務めたが[5]、跡取りの男児が無く、同じ福山藩の家臣だった岡本家から養子を迎えた[4]。実祖父・利根川守三郎は、電子技術総合研究所(現産業技術総合研究所)の二代目所長や電子情報通信学会初代会長を歴任した電気工学の権威だった[4][6]。生後数ヶ月から大阪で育ち[7]、小学校と中学校の頃は引っ越し続き[7]。父が地方の工場長になり、1947年小学校1年生から1952年中学校1年生まで富山県上新川郡大沢野町(現在の富山市)で[7]、中学2年生までは愛媛県西宇和郡三瓶町(現在の西予市)で過ごした[7]。中学2年生の終わりに兄と一緒に東京の叔父の家に預けられ[3]、1958年、東京都立日比谷高等学校を卒業。父の勉も日比谷高校出身。高校では生物を取らず、生物の知識はほとんどなく、人間の体がみな細胞でできていることは大学に入り、一般教養の生物を取るまでは知らず、友達に話したところ馬鹿にされた[8]

YMCA予備校で一浪の末1959年、京都大学理学部に入学[3]。元京都大学総長である尾池和夫とクラスメートであった。京都大学では、三年からの専門課程に化学科を選ぶ。当時の利根川はサラリーマンになる気がなく大学に残ることを考えていた。そのため、化学科の中でどの教室を選ぶかが重要になるが、化学は有機にしろ無機にしろ既にできあがった学問であり自分がやることは残っておらず魅力はないと考えたためにやりたいことがなく悩む。安保闘争の後で、資本家のために一生働くのはつまらんという友達の影響で、ノンポリではあったが彼らの言うことももっともだと思うようになりデモにも参加。1960年6月15日樺美智子の死の後には、京都から上京。国会議事堂の前に立つ。その後、化学科の中にあった生物科学教室で大学院の博士課程を終えたばかりで研究室に残っていた山田という人物に出会い、マーシャル・ニーレンバーグ遺伝暗号解読の話を知り、生物現象を化学的に研究することに興味を持つ[8]。1963年、京都大学理学部化学科卒業。

研究者として

同年四月、同大学院理学研究科に進学、同大学ウイルス研究所渡辺格に師事するものの、渡辺の薦めもあり中退して、分子生物学を研究するため1963年、設立されたばかりのカリフォルニア大学サンディエゴ校へ留学[3]。1968年、カリフォルニア大学サンディエゴ校博士課程修了[3]Ph.D. in molecular biology。1969年、米ソーク研究所ダルベッコ研究室でポスト・ドクター研究員。1971年、バーゼル免疫学研究所(スイス)の主任研究員[3]。1981年、マサチューセッツ工科大学生物学部およびがん研究所教授[3]

  • 1987年 免疫グロブリンの特異な遺伝子構造を解明した功績によりノーベル生理学・医学賞を受賞した[3]
  • 1994年 マサチューセッツ工科大学ピカウア学習・記憶研究センター所長。
  • 2005年 独立行政法人沖縄科学技術研究基盤整備機構運営委員。
  • 2006年 MIT内の他研究所の教官公募に際して、研究内容が競合しているという理由により、女性研究者に辞退を迫るメールを出したことが問題視され告発された。MITの内部調査は、不適切な内容を認めつつも女性差別の証拠はなかったと報告している。2006年を最後に、ピカウア学習・記憶研究センター所長の職を辞している。
  • 2009年 理化学研究所脳科学総合研究センターセンター長。
  • 2011年11月 学校法人沖縄科学技術大学院大学学園理事就任。

受賞・栄典

主要論文

  • 『Evidence for somatic rearrangement of immunoglobulin genes coding for variable and constant regions.』 PNAS 1976 73 (10), p3628-3632, doi:10.1073/pnas.73.10.3628
  • 利根川進, 「免疫認識の分子生物学」『蛋白質核酸酵素』 32(3), p239-250, 1987-03, NAID 40002330949
  • 利根川進, 『「出るくぎは打つな」の社会を (日本の独創性を問う<特集>)』 科学朝日 47(8), p62-65, 1987-08, NAID 40000401411
  • 利根川進, 「脳の研究で人の心を理解できるのか」『学術の動向』 7巻 7号 2002年 p.53, doi:10.5363/tits.7.7_53
  • 『利根川進博士が進める新たな脳科学研究』 現代化学 (461), 28-30, 2009-08, NAID 40016655307

著作

共著

家族

祖父の利根川守三郎

関連書籍

  • 『男の生き方40選・下』 城山三郎、1995年3月、ISBN 4167139219
  • 「私の履歴書」 日本経済新聞連載 2013年10月

脚注

関連項目

外部リンク

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