前原町 (小松島市)
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河川
小松島市の北西端に位置する。西は北流する勝浦川を境として、徳島市(丈六町・勝占町)と相対し、南は田浦町、北は概ね徳島南バイパス付近をもって江田町に、東はほぼ旧土佐街道の徳島県道136号宮倉徳島線をもって中郷町に、南東は日開野町に接している。
土佐街道に沿って街村が形成され、草創神社を基点として、字・宮・元村を中心に農村集落が点在している。純農村地域で、農業が主産業。米作のほか施設園芸が行われ、イチゴ・花・野菜が生産されている。また、一部には畜産も行われ、複合的農業が営まれている。江戸期から大正年間にかけて、小松島に盛んに行われた紺屋業の発祥地でもある。
小字
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歴史
前原村
前原村は江戸期から1889年(明治22年)にかけて勝浦郡に存在した村。徳島藩領。1874年(明治7年)、柳本孫三郎は自宅を校舎として、人民共立学校を開設。1877年(明治10年)には前原小学校と改称した。1886年(明治19年)に廃校となる。
明治4年(1871年)に徳島県、同年に名東県、1876年(明治9年)に高知県を経て1880年(明治13年)に再び徳島県に所属。
前原
前原は1889年(明治22年)から1957年(昭和32年)にかけて存在した大字。はじめ小松島村、1907年(明治40年)より小松島町、1951年(昭和26年)からは小松島市の大字となった。産業は農業が主体で、米麦のほか菜種も栽培され、大正期から昭和10年頃にかけては養蚕が行われた。
現在
1957年(昭和32年)より現在の小松島市の町名となる。1982年(昭和57年)の耕地面積56.1haのうち田53.6ha、畑2.5haで、米・イチゴの栽培や畜産などの複合経営が行われている。
地名の由来
草創神社の前に展開した集落というところに由来している。
世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域(東の国道55号以東を除く。) | 小松島市立児安小学校 | 小松島市立小松島中学校 |
| 東(国道55号以東) | 小松島市立千代小学校 |
交通
施設
- 草創神社
- 勝浦川漁業協同組合監視小屋