前山久吉
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年表
- 1872年 - 名古屋市にて出生。家貧しく、幼少期より三菱銀行で給仕として働く[7]。
- 1886年 - 同行の東京本社勤務を命じられ、上京[7]
- 18??年 - 同行函館支店支配人代理[8]
- 1898年 - 日本鉄道の運輸課長に就任する久保田扶桑の書記として入社し、主事調査係長に昇進[8][7]
- 1901年 - 成田鉄道事務長に就任し、大倉喜八郎と山田英太郎と知り合う[8][7]
- 1904年 ‐ 大倉喜八郎経営の月島製鋼常務取締役に就任[8][7]
- 1906年 ‐ フィリピン、香港、南清(中国南部)を視察[8]。日本絹綿紡績設立に関わり専務取締役就任[8][7]
- 1907年 ‐ 日本絹綿紡績が鐘淵紡績に合併され、同社取締役に就任[8][7]
- 1908年 ‐ 鈴木梅四郎の後任として王子製紙の専務取締役に就任[7]。王子製紙苫小牧工場の建設に尽力する[9]。山林疑獄事件で投獄される[9]。
- 1910年 ‐ 同工場完成
- 1912年 ‐ 内国貯金銀行設立し取締役に就任。日本製粉取締役に就任[10]。
- 1916年 ‐ 東京信託(1906年創業)の取締役会長に就任[11]。日本製粉の専務取締役に就任[12]。
- 1918年 ‐ 日本徴兵保険(1911年創業、1945年大和生命に改称)取締役に就任[11]
- 1919年 ‐ 浜松銀行頭取に就任。山本悌二郎、若尾璋八、小西和らと亜細亜煙草設立[13][14]。
- 1921年 ‐ 共同保全設立し社長に就任[11]
- 1922年 ‐ 日経連の第一回総会に出席
- 1926年 ‐ 東京信託を日本不動産に改称し、引き続き取締役会長[11]
- 1927年 ‐ 旧華族会館敷地を購入[11]
- 1930年 ‐ 上記土地に新社屋竣工、日本不動産、日本徴兵保険、内国貯金銀行が入居[11]
- 1931年 ‐ 三越の取締役に就任[11]
- 1937年 ‐ 死去。墓所は多磨霊園。