劉貞

前漢の皇族。劉勝の庶子。陸成侯。 From Wikipedia, the free encyclopedia

劉 貞(りゅう てい、生没年不詳)は、前漢皇族。第6代皇帝景帝の孫で、中山靖王劉勝の庶子。三国時代蜀漢劉備の先祖にあたるという[1]封号爵位)は陸城侯[2]

三国志蜀書先主伝によると、劉貞は紀元前117年に叔父の武帝から涿郡涿県(現在の河北省保定市涿州市)の列侯に封じられた[3]

紀元前113年に父の劉勝が逝去し、翌年の年始(正月)に、劉貞が参内した時に列侯に課された漢朝への上納金(酎金)が規定を満たさなかった廉(かど)で、侯の地位を召し上げられてしまった。劉貞はその後、封地であった涿郡に豪族として代々住居していたという[4][5]

三国志演義での系譜

また、『三国志平話』および『三国志演義』では『三国志』同様に「陸城亭侯」とされ[6]、子の劉昂は沛侯、孫の劉禄は漳侯、曾孫の劉欒は沂水侯、玄孫の劉英は欽陽侯と、数代の間に爵禄の転封を繰り返し、劉弘の代までは官職を奉じ小豪族としての暮らし向きを保ち、劉弘が早くに亡くなり、その子劉備の代までには蓆や沓売りをする生活に落ちぶれていた。後に劉備が漢末期に活躍し、左将軍・宜城亭侯に封ぜられ、漢中王、蜀漢の皇帝になるに及び、劉貞の最盛期を凌ぐ隆盛を誇った記述になっている。これは一部を除いて、演義の創作である。

脚注

関連項目

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