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勝盛達之助

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勝盛 達之助(かつもり たつのすけ、1879年〈明治12年〉4月1日[1] - 1942年〈昭和17年〉5月27日[2])は、日本の商人(海産物商[3])、広島県多額納税者[4]、政治家。広島市会議長(25代)[2][5]。広島商工会議所会頭[2]。前名・四方吉[3]。広島市立工業専門学校長、広島電機大学長などを務めた勝盛豊一の養父。

広島県安芸郡呉村(現・呉市)出身[2]。先代達之助の長男[3]。私立光道館卒業[6]。1882年、父に従い、広島市猫屋町に移る[2]。先代を補佐して家事に従事[6]。1908年に家業を継ぎ、海産物問屋兼輸出業を経営[注釈 1]、同年5月より12年間猫屋町町総代を勤める[2]。

1909年、家督を相続し四方吉を改め襲名する[3]。1913年2月より連続8期広島商工会議所議員に当選、その間2回副会頭となり、1940年2月に広島商工会議所会頭に就任する[2]。1941年2月に同所顧問を委嘱される[2]。

1921年6月より連続5期広島市会議員に当選、その間名誉職市参事会員に3回当選する[2]。1941年2月10日、広島市会議長に就任する[2]。

1934年2月、広島市水産会副会長に就任する[2]。1940年2月、広島県商工団体連合会会長に就任、同年4月広島工業港修築期成同盟会副会長に就任する[2]。

人物

1933年4月、多年公益に尽瘁の功により広島市長より銀盃を贈られる[2]。1935年3月、実業功労者として広島商工会議所会頭より感謝状を受く[2]。1940年11月、産業貿易功労者として日本産業協会総裁伏見宮より表彰される[2]。1943年3月、市政に尽力の功により広島市長より記念品料を追贈される[2]。

趣味は謡曲[3]。宗教は真宗[3]。住所は広島市猫屋町[3]。広島在籍[3]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[1]。

家族・親族

脚注

参考文献

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