北多摩陸軍通信所
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北多摩陸軍通信所(きたたまりくぐんつうしんじょ)は、東京府(現在の東京都)北多摩郡に設けられた大日本帝国陸軍参謀本部の施設である。
陸軍参謀本部は、麹町区(現在の千代田区)三宅坂の参謀本部構内で対外情報収集活動をおこなってきたところ、1931年9月18日の満州事変後の「時局に鑑み」て、主力となる「傍受用無線受信所」を新たに建設することを決定した[1]。
1933年3月、電波状況の良い北多摩郡久留米村前沢1470番地(現在の東久留米市前沢五丁目)に「北多摩陸軍通信所」が開設された[2]。同年10月、全施設が竣工した[2]。
敷地面積4950平方メートルで、木造平屋建ての受信所と、敷地四隅の高さ45メートルの自立式鉄塔計4基が設けられた[2]。敷地の南に職員用官舎が建設された[2]。正門など敷地の一部は北多摩郡小平村野中新田(現在の小平市花小金井四丁目)に属し、一般には「田無通信所」と呼ばれた[1][2]。参謀本部構内の記録所と総延長約30キロメートルに及ぶ電信電話回線で結ばれていたほか、重要事項については1日1回連絡員が直接書類を搬送したといわれる[2]。
1940年・1944年に敷地拡張・庁舎増築・設備増設が行われ、敷地面積約396700平方メートル、受信機数53台、総人員千数百人の対外無線傍受の中心的な施設となった[1][2]。1943年8月、「陸軍中央特殊(特種)情報部通信隊」に改称された[1][2]。
1945年8月12日に書類の焼却が始められ、同月15日の日本の降伏で通信所は解散するに至った[2]。
戦後、敷地のほとんどが民間に払い下げられた[2]。1949年、4基の鉄塔が解体された[2]。2014年9月、「北多摩陸軍通信所跡」として東久留米市の旧跡に文化財指定された[2]。