北方村 (愛知県)
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| きたがたむら 北方村 | |
|---|---|
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北方村道路元標 | |
| 廃止日 | 1955年(昭和30年)4月1日 |
| 廃止理由 |
編入 |
| 現在の自治体 | 一宮市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 |
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| 地方 | 中部地方、東海地方 |
| 都道府県 | 愛知県 |
| 郡 | 葉栗郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 面積 | 4.09 km2. |
| 総人口 |
5,993人 (国勢調査、1950年10月1日) |
| 隣接自治体 |
愛知県一宮市、葉栗郡木曽川町 岐阜県羽島郡松枝村、笠松町、八剣村、下羽栗村、川島村 |
| 北方村役場 | |
| 所在地 | 愛知県葉栗郡北方村大字北方字勅使53 |
| 座標 | 北緯35度21分45秒 東経136度46分50秒 / 北緯35.36239度 東経136.78061度座標: 北緯35度21分45秒 東経136度46分50秒 / 北緯35.36239度 東経136.78061度 |
| ウィキプロジェクト | |
年表
行政
教育
交通
鉄道
木曽川橋の完成を機に、尾西鉄道が新一宮駅(現:名鉄一宮駅)から路線を延長し、1914年(大正3年)8月に大字北方字宝江に終着駅の木曽川橋駅が開業した[8][9]。1918年には木曽川の舟運との連絡のためさらに延長して、貨物駅の木曽川港駅が設けられた[10]。尾西鉄道の路線は1925年に名古屋鉄道に譲渡され、尾西線となった[11]。尾西鉄道を譲り受けた名古屋鉄道は1928年までに名古屋市内の押切町駅から新一宮駅までを全通させると、名古屋市内から木曽川橋駅までの直通列車を運行し、更に木曽川橋駅と笠松駅の間に連絡バスを運行した[12]。一方で名古屋と岐阜を最短で結ぶため一宮と笠松の間に新線を敷設する計画も進め、1935年4月に開通した[13]。同路線は北方村内を通過していたが、1939年3月に木曽川堤駅が開業した。
尾西線のうち奥町駅から木曽川港駅までは太平洋戦争中の1944年(昭和19年)3月に休止となった[14]。戦後、奥町駅から玉ノ井駅までは1951年12月に再開したが、木曽川港駅までは休止のまま1959年11月に廃止となった[15]。