北村徳太郎 (造園家)
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年表
1921年、大学を卒業し内務省に入省。
1933年、内務省内に内務次官を会長とする東京緑地計画協議会を結成。
1935年(昭和10年)、東京を中心とする一府二県にわたる大計画が完成。計画のみに終ったが、今日の緑地はほぼこの計画に準拠している。
1935年、約10か月間の欧米視察。
1936年、県及び市町村を会員とする日本公園緑地協会設立に参画。
1943年、内務省を勇退。
1945年、戦後発足した戦災復興院の計画局次長の大橋武夫に招かれ、同局施設課(公園緑地を所管)初代課長に就任。
1949年9月、計画局施設課長を退職。建設省設置に伴い移籍、都市局施設課長。同年建設省を退官。
1951年、 東京農業大学国土計画研究所を開設し、教授に就任。
1952年、 東京大学教授。農学部で国土計画・都市計画の講義を開始。教育研究のため、千葉市検見川に園芸実験所を新設。
1955年、 東京大学を退官。この頃石川栄耀らと、日本都市計画学会の創設に尽力。
1957年、日本都市計画学会会長。
1959年(昭和34年)、日本造園学会会長。
1964年死去。死没日付をもって従四位から正四位に進階し、勲三等旭日中綬章を追贈された[2]。
ほか、都市計画協会、国土計画協会等の理事を歴任。日本ガーデン協会は創立者にも参画。また、全国市町村庁幹部の都市計画への認識を高めるため、全国市長会専門研究員として、数市の計画に参与し、総合計画を自ら立案した。