北深志
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歴史
江戸時代当時は松本城下の外れにあり、御徒士(おかち)町を境に武家屋敷と町家に分かれていた。松本城から放射線状に見て、田町まではいわゆる騎馬武士の、御徒町は名の通り徒士の屋敷があった場所だといわれている。北国西街道が通っていたため人通りが多く北の入り口には番所が置かれていた。
明治になり松本町は武家の「松本北深志町」と町人の「松本南深志町」に分かれた。やがて市制施行した頃には北深志町の部分は大字北深志に、南深志町の部分は大字南深志になった。しかし、戦後になり松本市街地に住居表示が導入され、そのための町丁設定が行われると、このあたりが住居表示実施区域の「北深志」に指定されて北深志の行政地名は残ったのに対し、南深志は「深志」や「中央」といった地名に改められている。俗称地名では新町、西町、萩町、安原町、田町、御徒町、天白町などが該当する。
1994年には松本サリン事件が発生し[5]、市民に甚大な被害をひき起こした。
