千年 (川崎市)
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| 千年 | |
|---|---|
| 大字 | |
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千年交差点(2011年5月8日) | |
北緯35度34分47秒 東経139度37分25秒 / 北緯35.579658度 東経139.623617度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 行政区 | 高津区 |
| 地区 | 橘出張所 |
| 人口情報(2025年(令和7年)12月31日現在[1]) | |
| 人口 | 13,251 人 |
| 世帯数 | 6,575 世帯 |
| 面積([2]) | |
| 0.998844384 km² | |
| 人口密度 | 13266.33 人/km² |
| 設置日 | 1937年(昭和12年) |
| 郵便番号 | 213-0022[3] |
| 市外局番 | 044(川崎MA)[4] |
| ナンバープレート | 川崎 |
千年(ちとせ)は、神奈川県川崎市高津区の大字[5]。2011年(平成23年)11月17日時点で、住居表示は実施されていない[6]。面積は0.9988 km²である[2]。
地価
歴史
当地からは弥生時代の遺跡が発掘されているほか、橘樹郡の郡衙に比定される影向寺の近くから古代の建物群が発見されており、郡衙に関連するものではないかと考えられている[7]。また、当地にある能満寺は、影向寺の塔頭であり[10]、行基菩薩の創建と伝わる[11]。
江戸時代の当地は清沢村と岩川村の2つに分かれており、どちらも江戸時代初期には天領であったが[7]、のちに旗本領となっている[12]。村高は、正保期の『武蔵田園簿』で清沢村が393石2斗あまり、岩川村が164石あまり、『天保郷帳』では清沢村が451石4斗あまり、岩川村が211石8斗あまり、幕末の『旧高旧領取調帳』では清沢村が464石1斗あまり、岩川村が214石あまりというように推移していた[12]。
明治時代には、清沢村と岩川村が合併して千歳村が成立し、少しして千年村と改名したが、町村制の施行とともに橘村が成立し、千年はその大字となった[10][12]。明治時代には米と麦の二毛作が行われたほか、副業として養蚕もなされていたが、大正末期には副業が野菜作りへと変化していった[5]。
戦時中には木炭バスの往来に支障したという[5]中原街道の蟻山坂[10]も、戦後には切り通しとして坂が緩和されたほか、神奈川県道14号鶴見溝ノ口線の拡幅整備も行われ、昭和40年代以降は宅地化が進行していった[5]。
地名の由来
瑞祥地名であろうと考えられている[7]。近隣に久本・末長・久末など縁起のいい地名が多いので、それらにあやかったとも考えられる[7]。
沿革
- 弥生時代 - 伊勢山台遺跡・蟻山遺跡などに住居跡が残る。
- 1390年(明徳元年) - 能満寺本尊の虚空蔵菩薩像が造られる[10]。
- 1633年(寛永10年) - 清沢・岩川の両村が旗本領となる[12]。
- 1868年(明治元年) - 明治維新。当地は神奈川県に属する。
- 1874年(明治7年) - 大区小区制施行により、当地は第5大区第4小区に属する[12]。
- 1875年(明治8年) - 清沢・岩川の両村が合併し、千歳村が成立[12]。
- 1878年(明治11年) - 千年村に改称[12]。
- 1889年(明治22年) - 町村制施行により橘村が成立。千年はその大字となる。
- 1937年(昭和12年) - 橘村が川崎市に編入される。川崎市千年となる。
- 1949年(昭和24年) - 蟻山坂の切り通しによる改良工事が竣工[5]。
- 1954年(昭和29年) - 土地区画整理事業により、千年新町が分立する[12]。
- 1955年(昭和30年) - 千年と子母口の各一部から子母口富士見台が分立する[12]。
- 1962年(昭和37年) - 神奈川県道14号鶴見溝ノ口線が拡幅される[5]。
- 1972年(昭和47年) - 川崎市が政令指定都市に移行。当地は川崎市高津区千年となる。
小字
世帯数と人口
2025年(令和7年)12月31日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 大字 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 千年 | 6,575世帯 | 13,251人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[16] | 10,448 |
| 2000年(平成12年)[17] | 11,402 |
| 2005年(平成17年)[18] | 12,179 |
| 2010年(平成22年)[19] | 12,926 |
| 2015年(平成27年)[20] | 13,395 |
| 2020年(令和2年)[21] | 13,470 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[16] | 4,416 |
| 2000年(平成12年)[17] | 4,768 |
| 2005年(平成17年)[18] | 5,120 |
| 2010年(平成22年)[19] | 5,508 |
| 2015年(平成27年)[20] | 5,761 |
| 2020年(令和2年)[21] | 6,004 |

