千当海運
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1924年(大正13年)6月、与島の森安藤太郎が下津井 - 与島 - 坂出の定期航路を開設したのを端緒とし[1]、1950年(昭和25年)に千当海運株式会社として法人化した[2]。離島航路であるとともに、本四連絡の一翼も担っていたが、昭和30年代以降、近隣航路のフェリー化によって後者の性格は次第に失われていった[2]。1968年(昭和43年)には埋立により、瀬居島が陸繋島となり、航路も東側に大きく迂回する形になったが、瀬居島への寄港は続けられた。
1988年(昭和63年)4月に瀬戸大橋が開通し、寄港地の各島が本州・四国と陸路で連絡された後も、千当海運は引き続き運航を継続した。小型船舶の快速船を導入し、坂出発着の観光クルーズのほか、定期航路も一部の便を本四直航とするなど、観光客の誘致と航路の維持に努めたが、1992年(平成4年)には航路を児坂観光汽船に譲渡し、廃業した[3]。児坂観光汽船も1995年(平成7年)には航路を廃止し、2025年(令和7年)現在、各島に定期航路は就航していない。