落成当初はポール集電だったが、1923年12月25日付でパンタグラフに変更を申請、翌1924年2月26日付けで換装を完了した。また、1014号は1926年1月23日付けで電機第5号形1021~1024号機のテスト機として、日立製105HP×4へ主電動機を換装している。このため、1936年の改番では1005~1013はEF3形5105~5113となり、1014のみEF4形5114とされた。
戦時中、1945年7月9日の空襲で和歌山市駅にて焼失した5106・5108・5110の3両は1947年12月24日付けで廃車となった。そのため戦後は5105、5107・5109・5111~5113の6両が残った。
1949年5月9日付けの車番整理ではED5101形となり、5105・5107・5111・5112はそのままの車番であったが、5109は5108へ、5113は5106へと繰り上げられた。また、5111・5112を除いて制御器がHL-100形に換装された。
その後は高野線の貨物営業の縮小や、新型の5201形の登場などにより1971年より5111・5112から廃車が再開、1974年3月8日付けで形式消滅となった。このうち5107はさやま遊園に保存され、5108は国見山石灰鉱業専用線(三重県)に払い下げられたが、どちらも後に解体されて現存しない。