原勝彦

日本の野球選手 (1930-2020) From Wikipedia, the free encyclopedia

原 勝彦(はら かつひこ、1930年6月3日 - 2020年3月12日[1])は、福岡県出身のプロ野球選手捕手)。

国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県
生年月日 (1930-06-03) 1930年6月3日
没年月日 (2020-03-12) 2020年3月12日(89歳没)
概要 基本情報, 国籍 ...
原 勝彦
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県
生年月日 (1930-06-03) 1930年6月3日
没年月日 (2020-03-12) 2020年3月12日(89歳没)
身長
体重
170 cm
65 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1954年
初出場 1954年
最終出場 1959年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
閉じる

来歴・人物

福岡県小倉中学校(旧制)では全国大会に3回出場。1946年阪急西宮球場で行われた戦後第1回目となる夏の選手権では、2回戦(初戦)で東京高等師範付中に敗退[2]。翌1947年春の選抜はエース福嶋一雄とバッテリーを組み決勝に進むが、徳島商に延長11回敗れる[3]。同年夏の甲子園では準決勝で成田中の石原利男を延長10回に打ち崩し決勝進出。エース樽井清一を擁する岐阜商を6-3で破り初優勝を飾った[2]

卒業後は明治大学へ進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、リーグ通算65試合出場、202打数50安打、打率.248、0本塁打、17打点を記録した。

夕張炭鉱、小倉製鋼を経て、1954年近鉄パールスに入団。1年目から一軍に上がり、シーズン後半には多田文久三に代り正捕手の座を獲得。翌1955年には規定打席(46位、打率.225)にも達する。しかし1956年加藤昌利が台頭して出場機会が減少し、1960年限りで現役引退。

後にパ・リーグ審判部長を務めた村田康一の同郷の先輩であり、村田に近鉄入団をすすめたのは原である。

2020年3月12日、心不全により死去[1]。89歳没。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
1954 近鉄 92256228245071162181211215--0284.219.265.272.537
1955 129403377268512251163922611900405.225.262.308.570
1956 571421241024000241011521100131.194.255.194.449
1957 59128117528200308001190095.239.291.256.548
1958 7216014332710028910111500256.189.264.196.460
1959 9660100010000000010.167.167.167.333
通算:6年 41810959956821522362618455247690011621.216.265.262.527
閉じる

背番号

  • 6 (1954年 - 1960年)

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI