原寛
日本の植物学者
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略歴
東京帝国大学(現:東京大学)卒業。 東京大学助教授時代の1950年(昭和25年)には、科学委員による合同進講の機会に昭和天皇に日本ツツジの分類・分布について進講した[2]。また、同年10月2日には、本田正次とともに皇居に招かれ、昭和天皇と吹上御苑内を散策しながら植物調査を行った[3]。1952年(昭和27年)以降も、しばしば皇居や那須御用邸で行われる合同進講や植物採集などにも参加[4][5]。
1957年(昭和32年)に東京大学教授となる[1]。終戦後停滞していた日本の植物分類学を発展させるため、同大学の標本室の改善や、日本国外の植物相研究の充実などに務めた[6]。特に生涯にわたって、日本の植物の進化と関係が深い中国、ヒマラヤ、北アメリカ東部などの植物相の研究に力を入れた[6]。1960年(昭和35年)には大学によるヒマラヤ植物調査に参画。同年8月31日、那須御用邸を訪問して昭和天皇、香淳皇后にスライドを用いてヒマラヤの植物の説明を行った。また、1961年(昭和36年)からは、天皇の著書『那須の植物』の編集にも参加した[7]。
1986年(昭和61年)9月24日に75歳で死去した[1]。生涯にわたって記載した植物の新種は約700種にも上る[8]。墓所は多磨霊園[9]
マメ科ヤブマメ属から分離されたハラシューテリア属(Harashuteria)は、原を称えて命名された[10]。