原手合戦
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合戦までの経緯
永禄12年(1569年)、尼子再興を目指す尼子勝久ら尼子再興軍は、隠岐から出雲へと上陸し、出雲忠山(現在の島根県松江市美保関町)に本陣を設営した。その後破竹の勢いで出雲の諸城を攻略し、ほぼ出雲一国を手中に収めんとするまでに勢力を拡大した(尼子再興軍の雲州侵攻)。
しかし、出雲の拠点である月山富田城の攻略に手間取ったこともあり(月山富田城の戦い)、石見銀山を守備していた服部左兵衛ら毛利軍が、小田助右衛門を大将に尼子再興軍を討伐するため進軍する。小田助右衛門らは、約3,000[2]の兵を率い出雲戸倉(現在の島根県出雲市稗原町)から原手郡(現在の島根県出雲市斐川町)を目指した。これを迎え討つため山中幸盛ら尼子再興軍は、約2,700[2][3][4]の兵を率い原手郡へ進軍した。