原摂祐
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1885年1月9日、岐阜県恵那郡川上村(現在の中津川市川上)の生まれ[2][3][4]。
1900年に岐阜県農学校に入学、在学中に植物病害に関する講義を聴いて植物病理学へ興味を持つが、在学2年ののち退学する[4]。1904年11月に名和昆虫研究所で開催された全国害虫駆除講習所に出席、以後研究所に出入りして昆虫および冬虫夏草を研究した。1907年、長野菊次郎が開校した同研究所附属の農学校に入学するが程なく退学、上京して東京帝国大学帝国大学農科大学の無給介補となり、1910年より助手、白井光太郎や三宅市郎、草野俊助らの指導を受ける[4]。過度の勉学により健康を害して一時帰郷するが、その療養中にも各地を旅行して菌類を採集、ピエール・アンドレア・サッカルドやパウル・シドーといった海外の学者に送付して鑑定を求め、また東京帝国大学植物病理学教室や農商務省農事試験場(現在の農業・食品産業技術総合研究機構)所蔵の文献を駆使して独自に同定を行った[3][4]。この頃、『果樹病害論』(1916年)や『稲の病害』(1918年)といった著作を発表している[3]。
1918年、宮部金吾の推薦を受けて静岡県農会技師となり、静岡県害虫駆除委員や農事講習場教師、農事試験場病害調査員、静岡県農業教員養成所教授などを兼任する[4]。この間にも作物およびその病害に関する研究を進め、『樹病学各論』(1923年)や『実用作物病理学』(1925年)など数多くの著作を発表している[3]。1930年、職を辞して郷里の実家を継ぐために帰郷[3]、農薬会社に勤務[2]。帰郷後も研究を継続し、『茶樹の病害』(1932年)や『日本害菌学』(1936年)を出版する[3]。また、白井光太郎が1905年に出版した日本最初の菌類目録である『日本産菌類目録』を1927年、1954年の二度にわたって改訂し、約7,300種を掲載する菌類目録として発行した[3][5]。これは2010年に勝本謙によって『日本産菌類集覧』が発行されるまで、最も多くの日本産菌類を網羅した目録であった。
1955年、「日本菌類目録の編纂並に本邦菌学に対する貢献」を評価されて日本植物病理学会を受賞[1][3]。その後も日本菌学会の会報に論文を投稿するなど研究に続けたが、1962年8月に病没[3][4]。