原田清

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1926-11-18) 1926年11月18日(98歳)
身長
体重
175 cm
70 kg
原田 清
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市[1]
生年月日 (1926-11-18) 1926年11月18日(98歳)
身長
体重
175 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手 内野手
プロ入り 1949年
初出場 1949年
最終出場 1956年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

原田 清(はらだ きよし、1926年11月18日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは一塁手

平安中学校では1942年に幻の甲子園 [2]と言われている全国中等学校野球大会に出場。当時は捕手として決勝まで進出。決勝は徳島商業と対戦し延長11回の激闘の末サヨナラ負けとなった[1]

平安中学校卒業後に海軍へ入隊。広島県呉市にて特殊潜航艇蛟龍」の乗員訓練を受け、沖縄戦出撃命令を待つ身だったが、結局は命令が下ることなく終戦を迎えたという[1]

戦後復員して立命館大学に入学して野球を再開[1]1949年東急フライヤーズへ入団。1950年から一塁手へ転向し、翌年にレギュラーとなった。1953年は4番打者として110試合に出場した。

1956年現役を引退。2020年現在も京都で健在である[1]

詳細情報

脚注

関連項目

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