及川和男
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東京府(現・東京都)池袋に生まれ、豊島区立池袋第五小学校入学後、本郷区立駒本国民学校に転校。1945年(昭和20年)の東京大空襲の後に福島県南会津郡檜原村へ疎開。その後、岩手県内を転々とし、1946年(昭和21年)12月から父の郷里である一関市に住むようになる[4]。1949年、一関市立一関中学校卒業。
1952年、岩手県立一関第一高等学校普通科を卒業後、岩手殖産銀行(現:岩手銀行)に入行、銀行員として勤務の傍ら小説を書く[1]。鈴木彦次郎に師事し[1]、1971年、「雛人形」が雑誌『民主文学』に掲載されてから、同誌を中心に活躍。そこに連載した長編『深き流れになりて』で、1975年に多喜二・百合子賞を受賞する。
1976年3月末に岩手銀行を依願退職してからは、作家専業となる[1]。
1980年代からは、岩手の地域に根差した作品も多く、沢内村の医療制度を作品化した『村長ありき』も評判になる。同作はNHKで放送、劇団銅鑼により『燃える雪』の題で劇化[1]、『いのちの山河』の題で映画化もされた。この他の及川の著書では、1993年の『米に生きた男』も『北の米』の題で日中合作ドラマ化されている。
1970年からは日本民主主義文学同盟に参加していたが、政治と文学の関係に深く傷つき、1987年に脱退している[1]。
1995年、一関市文化賞受賞。1998年から『北の文学』編集委員。2013年4月、一関市立一関図書館名誉館長就任。
三好京三とは旧制一関中学校以来の交友があり、1955年頃からは三好らとともに同人誌も出していた[1]。三好の没後、いちのせき文学の蔵の会長職を引き継いだ。