史跡 生野銀山
From Wikipedia, the free encyclopedia
生野銀山の歴史

生野銀山は銀や銅などを産出した鉱山であり、江戸時代には江戸幕府の直轄鉱山、明治時代には明治政府の直轄鉱山となり、1896年(明治29年)に三菱合資会社に払下げられた[1]。
史跡 生野銀山の開業
1973年(昭和48年)3月22日に生野銀山が閉山となった後、1974年(昭和49年)6月に体験型観光施設としての史跡 生野銀山が開業した[2][3]。当時の観光坑道は約300メートルだった[3]。キャッチコピーは「1200年の歴史とロマン 水と緑の美しい自然の里」。施設の管理運営は1973年(昭和48年)2月に設立された株式会社シルバー生野であり[3]、三菱鉱業の後継会社である三菱鉱業セメントと朝来市が出資する第三セクター会社である。
1975年(昭和50年)には生野鉱物館が開館した[3][4]。1984年(昭和59年)6月には銀山食堂がオープンし、1986年(昭和61年)7月には吹屋資料館が開館し、1991年(平成3年)4月には土産館・レストハウスがオープンした[3]。1992年(平成4年)には観光坑道を約700メートル延長して約1000メートルとし、史跡 生野銀山がリニューアルオープンした[3][5]。2007年(平成19年)には生野銀山開坑1200年事業が催された[2]。2007年(平成19年)、生野銀山は経済産業省によって近代化産業遺産に選定され、生野鉱山は日本の地質百選選定委員会によって日本の地質百選に選定された。
2011年(平成23年)3月には生野銀山文化ミュージアム(生野鉱物館)が新装オープンした[3]。観光坑道内には坑夫や役人らの人形が多数展示されているが、2017年(平成29年)にはこれらの人形を男性アイドルグループ「GINZAN BOYZ」に見立てた観光PRを開始した[6]。
