司馬龍生
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司馬 龍生(しば りゅうしょう)は落語の司馬派の名跡。司馬派の祖。
初代三遊亭圓生門下の初代司馬龍生を祖とする司馬派は、江戸時代において隆盛を極めたが、明治時代以降は衰え、龍生の名跡を襲名する者は50年以上現れていない。現在、司馬派の名跡を継ぐ落語家は土橋亭里う馬がいるのみ。なお、この名跡は三遊亭司が預かっている[1]。
4代目は2人確認されているが同時に存在したわけではない。
因みに司馬派の名跡は、上記の土橋亭里う馬以外に司馬龍蝶、司馬龍斎、司馬斎次郎、登龍亭鱗蝶、司馬龍我、司馬龍女などがある。なお、2020年に名古屋拠点の落語家4名登龍亭獅篭、登龍亭幸福らが襲名した登龍亭は司馬派が使用していた亭号に由来する。
3代目
4代目
5代目
| 五代目 | |
| 別名 | 豊次郎 |
|---|---|
| 生年月日 | 不詳年 |
| 没年月日 | 1879年7月 |
| 出身地 | |
| 師匠 | 初代三遊亭圓朝 |
| 名跡 | 1. 三遊亭圓三(1855年 - 1861年) 2. (亭号不明)栄朝(1861年 - 1868年) 3. 2代目橘家圓太郎(1868年 - 1878年) 4. 5代目司馬龍生(1878年 - 1879年) |
| 活動期間 | 1855年 - 1879年 |
| 所属 | 三遊派 |
( - 1879年7月)
俗称を豊次郎(豊吉とも)いい、外神田旅籠町の生まれで鮨屋を業とした。1855年3月21日に三遊亭圓朝(圓朝にとって一番弟子)の門に入り橘家圓三から文久元年ころに栄朝となり、明治初年?に2代目橘家圓太郎を襲名した。
このころからあだ名を「鮨屋(すし屋)の圓太郎」といった。1878年ころに5代目司馬龍生を継いだ。1879年7月に越後で当時流行していたコレラで静養中に火事で死去した。
6代目
| 6代目 (2代目 | |
| 本名 | 永島 勝之助 |
|---|---|
| 生年月日 | 1845年2月 |
| 没年月日 | 不詳年 |
| 出身地 | |
| 師匠 | 5代目桂文治 2代目三升亭小勝 初代三遊亭圓朝 4代目三遊亭圓生 |
| 弟子 | 初代三遊亭遊三 |
| 名跡 | 1. 桂文勇(不詳) 2. 三升亭勝之助(不詳) 3. 2代目三升家勝蔵(不詳) 4. 三升家東里(不詳) 5. 登龍亭麟生(不詳) 6. 初代三遊亭圓窓(不詳) 7. 初代三遊亭圓丈(? - 1881年) 8. 6代目司馬龍生(1881年 - 1889年) 9. (亭号不明)柳窓(1889年 - 1892年) 10. 2代目麗々亭柳昇(1892年 - ?) |
| 所属 | 江戸桂派 三遊派 柳派 |
6代目 司馬 龍生(1845年2月 - 明治20年代没?)、本名:永島 勝之助。