春風亭柳枝 (4代目)
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| 四代目 | |
| 本名 | 飯森 和平 |
|---|---|
| 別名 | 初代春風亭華柳 牛込の柳枝 鼠の殿様 |
| 生年月日 | 1868年9月 |
| 没年月日 | 1927年4月20日 |
| 出身地 | |
| 死没地 | |
| 師匠 | 初代松柳亭鶴枝 三代目春風亭柳枝 |
| 名跡 | 1. 松柳亭鶴吉 (? - 1885年) 2. 二代目春風亭枝雀 (1885年 - 1889年) 3. 都川扇之助 (1889年 - 1890年) 4. 二代目春風亭枝雀 (1890年 - 1894年) 5. 柳家さん枝 (1894年) 6. 四代目春風亭柏枝 (1894年 - 1896年) 7. 初代春風亭小柳枝 (1896年 - 1900年) 8. 四代目春風亭柳枝 (1900年 - 1921年) 8. 初代春風亭華柳 (1921年 - 1927年) |
| 活動期間 | ? - 1927年 |
| 所属 | 柳派 三遊柳連睦会(1917年 - 1923年) |
| 備考 | |
| 睦会会長 | |
初代 春風亭 華柳(しゅんぷうてい かりゅう)・四代目 春風亭 柳枝(しゅんぷうてい りゅうし)1868年9月(慶応4年 - 明治元年)9月 - 1927年(昭和2年)4月20日は、和歌山県の落語家。本名:飯森 和平。通称は住所から「牛込の柳枝」。また、俗に小ぢんまりとした顔つきから「鼠の殿様」。
江戸下谷の出身。父は元富山藩士で明治維新後、和歌、挿花、茶道の指南をしていた。
商人になるために11歳のときに奉公に出るが元来落語好きで奉公先が長続きせず、18歳の時に親に内緒で初代松柳亭鶴枝に入門し鶴吉となる。
1885年頃3代目柳枝のもとへ10年間修行を我慢するのならということで移籍し2代目春風亭枝雀を名乗り、1889年4月から翌年まで都川扇之助と名乗り、1890年9月枝雀に戻る。
1894年4月に鶴枝の門に戻り二つ目昇進、さん枝と改名。同年12月に4代目春風亭柏枝に改名。
1900年11月に同じ柳派の初代談洲楼燕枝の一周忌に弟子の小燕枝が「小」を取り2代目談洲楼燕枝したのに触発され、自身も「小」を取り4代目柳枝を襲名。
1917年8月、東京寄席演芸株式会社に対抗して落語睦会(三遊柳連睦会)を創設し、会長に就任。
1921年3月、睦会「三柳の改名」と称し、師弟トリプル襲名を敢行。
※柳枝は本来なら5代目だが、当時の落語界で5代目と言えば左楽だったため、小柳枝が「畏れ多い」とし、敢えて飛ばした。
1927年4月2日、NHKのラジオ放送で口演中に脳卒中で倒れる[1][2][注釈 1]。そのまま放送局内の休憩室で治療が行われたが、20日になって危篤状態に陥り同日死去[注釈 2]。満59歳没。