吉田太
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来歴・人物
大阪高から東北福祉大学へ進み、3年秋に東北大戦でノーヒットノーランを達成。1学年上に佐々木主浩、同期に小坂勝仁投手、矢野燿大、宮川一彦、1学年下に金本知憲(1浪入学)、斎藤隆や作山和英両投手らがいるなか、投手陣で左腕として活躍した。1990年の4年次、先発小坂勝仁を擁して小池秀郎擁する亜細亜大に1-2で惜敗し大学選手権準優勝。リーグ戦通算13勝1敗。同期の小坂と投の両輪として矢野燿大とバッテリーを組んでいた。
1990年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから4位指名を受け入団。矢野も中日から2位指名を受けたため、プロでも同チームとなった。
プロ1年目の1991年から一軍登板を果たすと、1992年のジュニア日本選手権では先発して8回2失点と同点で降板の後でチームは延長サヨナラ負けも敢闘選手を受賞。しかし一軍では結果を残せず1994年限りで現役を引退。これが矢野の奮起を呼び起こしたとも言われる(詳しくは矢野の項を参照)[1]。
詳細情報
年度別投手成績
表彰
- ウエスタンリーグ最優秀救援投手:1回 (1993年)
記録
背番号
- 25 (1991年 -1994年)