吉田貞次郎
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三重県奄芸郡一身田村(現津市)で農業・米穀商の吉田貞吉の長男として生まれる[3][4][5]。家業の不振のため、1900年、16歳の時に三重団体に加わる父に従い北海道空知郡富良野村(現上富良野町)に移住した[3][4]。忙しい開墾の合間に独学で学びを続け、徴兵時には一年志願兵を優秀な成績で終え、在郷中に陸軍歩兵中尉に昇進した[2][3]。
村役場職員となり、以後、上富良野村会議員、同村長、信用購買組合長、農業組合長、農業会長、帝国在郷軍人会上富良野分会長、東中富良野及び草分土功組合長などを務めた[2][3][4]。
1942年4月の第21回衆議院議員総選挙で翼賛政治体制協議会の推薦を受け北海道第二区から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた[2]。終戦後に公職追放となった[4]。