吉良大弥
日本のプロボクサー
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来歴
幼少期
父親がキックボクシングジムを経営しており4歳からキックボクシングを始め、小学生になってから柔道とボクシングを始めた。2人の姉達[3]と切磋琢磨しながら練習に励み格闘技の大会に出場した[4]。
アマチュア時代
ボクシングでは、2015年全国U-15ジュニアボクシング大会の32・5kg級決勝で坂間叶夢を破り優勝[5]。中学1年になるとボクシングに専念した。
2019年、ボクシングの名門王寺工業高校に入学。高校1年時のインターハイと国体ではどちらも高見亨介に判定負けを喫し優勝を逃した[6]。10月にアラブ首長国連邦で開催されたASBC主催のアジアジュニア選手権50kg級で優勝し、大会最優秀選手にも選ばれた[7]。高校2年時の全国高等学校ボクシング選抜大会を優勝[8]。同年4月、ポーランドで開催されたAIBA世界ユース選手権フライ級に出場しベスト8まで勝ち進むもウズベキスタンのシャフゾッド・ムザファロフに判定負けを喫した[9]。同年8月、高校3年時のインターハイを優勝して高校2冠を果たした[10]。
2022年、東京農業大学に入学すると1部リーグ戦のレギュラーとして1年時から活躍し、フライ級の階級賞も得るなどしてチームの勝利に貢献した[11]。パリオリンピックを目指し個人戦にも出場したが、全日本選手権の決勝で牧野草子に敗退[12]。翌年の全日本選手権は階級を上げて五輪階級のフェザー級で出場したがトーナメント2回戦における韓亮昊との試合中、偶然のバッティングによる裂傷を負い1Rで試合がストップ、4-1の負傷判定負けを喫し[13]、目標であった五輪への道が閉ざされた。その後、プロへ転向するため大学を2年で中退した。
プロ時代
2024年5月7日にB級ライセンス(6回戦)でのプロテストを受け合格、同月15日に記者会見を開きプロ転向を発表した[2]。
2024年6月27日、後楽園ホールにてコムサン・カエウルエアンとプロデビュー戦ならびにスーパーフライ級6回戦を行い、初回1分58秒でKO勝ち[14]。この試合がWBAに評価され、同年8月1日に発表されたWBA世界ランキングで世界スーパーフライ級15位にランクイン。プロデビュー戦にしては異例となる世界ランキング入りとなった[15][16]。
2024年10月31日、後楽園ホールでベネズエラライトフライ級4位および1年2カ月前に当時WBA世界ミニマム級レギュラー王者だったエリック・ロサとノンタイトルで対戦した経験を持つオルランド・ピノとフライ級8回戦を行い、初回1分19秒KO勝ちを収めた[17]。
2025年5月11日、大田区総合体育館にて行われた井岡一翔対フェルナンド・マルティネス第二戦の前座でWBA世界ライトフライ級13位のジャクソン・サパタと110ポンド契約8回戦を行い、2度ダウンを奪い8回3-0(79-73、79-71、80-70)判定勝利を収めた[18]。
2025年12月31日、大田区総合体育館にて行われた井岡一翔対マイケル・オールドスゴイティの前座でWBA世界ライトフライ級7位のイバン・ガルシアとWBA世界同級挑戦者決定戦を行い、2回に右ストレートでダウンを奪い2回27秒KO勝ちを収めWBA・WBO世界同級統一王者のレネ・サンティアゴへの挑戦権を獲得した。試合はLeminoプレミアムで独占生配信された。
2026年5月2日、WBAはWBA世界ライトフライ級王者のレネ・サンティアゴと同級1位の吉良に対して指名試合を指令。交渉期間は6月2日までで、対戦同意に達しない場合は入札となる。しかし同意に至らずWBAはさらに交渉期限を30日間延長した末に同意に達した。
プロ5戦目での世界王座獲得
2026年9月2日、横浜BUNTAIで元WBAレギュラー・WBC世界ライトフライ級王者のカルロス・カニサレスとWBA世界ライトフライ級レギュラー王座決定戦を行い、2回に大振り気味の左フックでダウンを奪い、7回に左フックで2度目のダウンを奪う展開となり7回38秒TKO勝ちを収め初の世界王座獲得とともに田中恒成と並ぶプロデビュー5戦目での世界王座獲得のタイ記録となった。当初はWBA・WBO世界ライトフライ級統一王者のレネ・サンティアゴと対戦する予定であったが、サンティアゴが肘を負傷したことにより中止となり、2026年7月28日付でサンティアゴはWBO王座を保持したままWBA休養王座に認定した。
人物・エピソード
戦績
- アマチュアボクシング - 52戦46勝(16RSC)6敗
- プロボクシング - 5戦5勝(4KO)無敗
獲得タイトル
受賞歴
アマチュアボクシング
- 2019年 ASBCアジアジュニア選手権大会 最優秀選手賞[7]