正妻は酒井忠吉(大老酒井忠勝の実弟)の娘・茂姫。
『寛政重修諸家譜』には6男が記されている。家督は長男義央が継いだ。赤穂事件により、吉良義央が横死、当主吉良義周は改易となり、吉良家は断絶する。義冬の次男義叔・三男義孝は別家を立てて旗本となり、ともに「東条」を称した。義叔・義孝はともに実子なく、義冬の四男冬貞は義叔の、五男冬重は義孝の、それぞれ養子となった。しかし、義孝流東条家は冬重のとき断絶している。義叔流東条家は存続し、末裔は家名を「吉良」に戻している。
義冬の六男は孝証。出家して山城国八幡の豊蔵坊信海(孝雄)の弟子となっている。