名誉書記
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名誉書記長
名誉書記
財団・社団における名誉書記
日本では、明治時代から置かれていた名誉職で、1883年(明治16年)に創立した鹿鳴館では外国人名誉書記としてトーマス・グラバーが招聘されていたことが知られている[2]。1898年(明治31年)、公爵近衛篤麿、子爵岡部長職及び法学博士鳩山和夫らの発起により、各界の親睦を図る目的で日本倶楽部が創立された際には、同倶楽部名誉書記名義で案内文が出されており、当時、伯爵だった大隈重信が受領した「日本倶楽部名誉書記書翰」は現在も早稲田大学で所蔵されている[3]。
また、渋沢栄一の生前の日記や逸話をまとめた『渋沢栄一伝記資料』によれば、1927年(昭和2年)12月26日、日米親善事業を営んでいたニュー・ヨーク日本協会協賛会名誉書記を務めていた小野英二郎が死去し、渋沢が名誉会長として葬儀で弔辞を読んだことが記されている[4]。
ゴルフ場における名誉書記
日本のゴルフ場を営むカントリークラブでは、役員の職名として名誉書記を定めている例がある。1930年(昭和5年)、東京ゴルフ倶楽部がゴルフコースを設計する際に、コース設計者としてチャールス・ヒュー・アリスンを招聘する際、同倶楽部名誉書記の白石多士良らが反対理事の留守中に招聘を決行したという記録が残っている[5]。
親睦団体の名誉書記
なお、日本の一部芸能人や文化人が組織する親睦団体 「宇宇意意の会」では上岡龍太郎を名誉顧問、作家の沢木耕太郎を名誉書記とし、桂南光らを含む8名の仲間で活動。遊行に一定のルールを定め交流している[6]。