10歳で幽州牙内兵馬使に任じられ、父の周徳威に牙兵を委ねられた。成長すると容貌魁偉で、軍事に練達した。天祐15年(918年)、父が死去すると、嵐州刺史に任じられた。後唐の荘宗に従って後梁を平定し、検校尚書左僕射・汝州防禦使に転じ、協謀定乱功臣の号を賜った。天成元年(926年)、汾州刺史に転じた。天成4年(929年)、入朝して右監門衛大将軍となった。長興から清泰年間にかけて、陳州・懐州・磁州の刺史を歴任し、検校司徒を加えられた。天福元年(936年)、後晋の高祖石敬瑭が即位すると、光輔は蔡州刺史に任じられた。天福2年(937年)、蔡州で死去した。享年は35。太保の位を追贈された。