周法高
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1915年、江蘇省東台(現在の塩城市の一部)に生まれた。1935年に南京の中央大学に入学したが、日中戦争によって中央大学が奥地に疎開移転すると、それに従って重慶に移った。1939年に中央大学を卒業し、西南連合大学[1]の北京大学文科研究所に入学した。1941年に卒業した後、中央研究院歴史語言研究所の助理研究員となった[2]。
1945年の日中戦争終結後は、疎開していた中央研究院歴史語言研究所の南京帰還とともに移動。1948年、研究所の副研究員に昇進。1948年に研究所は台湾へ移転し、1949年に渡江戦役で国民政府も首都・南京が陥落したことから自身も台湾に移った。1953年、研究員に昇進。
1964年より香港中文大学教授。1978年に台湾に戻り、再び中央研究院で働いた。1985年に中央研究院を退職した後は台湾の東海大学の教授をつとめ、没するまでその職にあった。