味鋺神社
From Wikipedia, the free encyclopedia
創建年代は不明。江戸期まで六所大明神と呼ばれていた。味鋺村の氏神であったことから、『延喜式神名帳』の尾張国春部郡「味鋺神社」に比定され、定説となっている。『延喜式神名帳』の訓が付されている写本では味鋺を「ミマリ」と読んでいるが、古代から中世には「味鏡」と書く例も散見され、古代にどのように読まれていたか定かではない。神階については『尾張国内神名帳』貞治本は「従二位上 味鋺天神」、元亀本は「正四位下 味鏡天神」としている。
寛治7年(1093年)に競馬の神事が催されたと伝わり、かつては例祭で流鏑馬神事が行われていたが戦後になって絶えた。なお、流鏑馬は1955年(昭和30年)の名古屋市合併を記念して催され、1998年(平成10年)にも流鏑馬装束の再現が行われている。隣接する護国院は天平年間(729年~748年)に行基によって薬師寺として建立されたとされるが、味鋺神社は同寺の鎮守であったと伝わる。
周辺はその昔には「百塚」と呼ばれており、味鋺古墳群と呼ばれる約50基以上の古墳があったが開発によって滅失した。なお、かつて加藤清正によって稲置街道にかけられた「清正橋」と呼ばれる石橋が1978年(昭和53年)に神社の境内に移設されているが、古墳の石室材を転用した可能性も言われている。
