唄の市
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当時の熱狂的なライブ音源は『唄の市 第一集』としてアルバム化され、日本のインディー・フォークシーンを代表する名盤として知られている。
企画制作会社「サイクル・ギス」代表門谷憲二に誘われて、泉谷しげる、古井戸、ピピ&コットはそこに所属していた。その「サイクル・ギス」主催で700人入る新宿の安田生命ホールでコンサートをやるも、客入りが少なく、それをもう一度やったがダメで、門谷が、アマチュア・コンテストの「唄の市」を企画、東横百貨店に打診したところそれが通り、1971年10月8日、渋谷・東横劇場にて”唄の市旗揚げ式”が開催された。それと同じくして、新宿御苑スタジオで、古井戸、ピピ&コットと泉谷しげるが「戦争小唄」を途中まで録音したテープを、門谷がエレックレコードに売り込みに行ったら、浅沼勇が泉谷しげるに興味を示して、浅沼から「唄の市」の模様をライブレコーディングしようとなったのが始まり[1]。
1971年10月8日の”唄の市旗揚げ式”には、吉田拓郎、加藤和彦、古井戸、ピピ&コット、泉谷しげる、六文銭らが出演[2]。
2日後の10月10日には、池袋駅東口ロータリーを交通規制して、「第2回唄の市」開催、雨の中約5,000人の聴衆の前で、古井戸、泉谷しげるが熱唱[2]。
そこから「唄の市」は全国展開され、多いときは年間200本も組まれたが1974年に閉幕。
1980年には、泉谷しげる、RCサクセション、加奈崎芳太郎で、「唄の市'80」が企画された[3]。
2009年には、泉谷しげるの呼びかけで、35年ぶりに伝説のコンサート<唄の市>が復活[4][3]。
当時のメンバーである泉谷しげる/加奈崎芳太郎(古井戸)/生田敬太郎/佐藤公彦(ケメ)が35年ぶりに集結。エレックレコードでセッション・ワークをスタートさせたChar、名ピアニスト中西康晴、エレック作品に多大な影響を受けたという浦沢直樹と和久井光司、そして現在のエレックを代表する新人、ザ・アウトロウズが、2009年11月28日、東京・九段会館で、『唄の市2009』として[5]4時間に及ぶコンサートを繰り広げることになった[4]。
当日は、泉谷/加奈崎/生田/ケメの代表曲のほか、浦沢/和久井による吉田拓郎のカヴァーなども予定され、総勢11名の和久井光司バンドがハウスバンドを務める[4]。