善如 From Wikipedia, the free encyclopedia 善如(ぜんにょ)は、南北朝時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第4世宗主・真宗大谷派第4代門首。大谷本願寺住職。諱は俊玄。法印権大僧都。父は第3世覚如の次男従覚。第5世綽如は子。 幼名 光養丸法名 善如諱 宗康⇒俊玄尊称 善如上人概要 善如, 幼名 ...善如 正慶2年2月2日 - 康応元年2月29日 1333年2月24日 - 1389年4月4日 1333年2月16日 - 1389年3月27日 上段・旧暦 中段・グレゴリオ暦換算[1] 下段・ユリウス暦幼名 光養丸法名 善如諱 宗康⇒俊玄尊称 善如上人宗旨 浄土真宗宗派 本願寺派(後の浄土真宗本願寺派、後の真宗大谷派)寺院 大谷本願寺師 覚如、従覚弟子 綽如著作 『敎行信證延書』19巻廟 大谷祖廟 (真宗大谷派)テンプレートを表示閉じる 生涯 年齢は、数え年。日付は文献との整合を保つ為、生歿年月日を除き旧暦(宣明暦)表示とし、南北朝時代の元号は、北朝(京都)で表記する。 正慶2年2月2日(1333年2月24日[1])、生まれる。 京都青蓮院にて得度し伯耆守宗康、後に大納言と称する。幼い頃より天台宗の教えを学ぶ。『日野一流系図』には日野俊光の猶子とあるが、俊光は善如が生まれる前に亡くなっている。 観応元年(1350年)、覚如より本願寺別当職(留守職)を継承。延文2年(1357年)には本願寺が勅願寺となる。 延文4年(1359年)、存覚に歎徳文の再編を依頼する。それ以降、報恩講において拝読されるようになる。 永徳2年(1382年)、南朝の総大将楠木正勝に浄土真宗を講じる(横玉山定専坊の寺伝による)。 康応元年2月29日(1389年4月4日[1])、57歳にて示寂。跡は子の綽如が第5世となり本願寺を継ぐ。 著書 『敎行信證延書』19巻 関連項目 親鸞 脚注 [1]グレゴリオ暦換算。本願寺派では、グレゴリオ暦に換算した生没年を用いる。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。表示編集 Related Articles