四条隆憲
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| 時代 | 安土桃山時代 |
|---|---|
| 生誕 | 天正9年(1581年)以前? |
| 死没 | 天正19年(1591年8月3日) |
| 改名 | 隆憲→乗海(法名) |
| 戒名 | 喬雲院仏光照心 |
| 官位 | 従五位上、左近衛少将 |
| 主君 | 正親町天皇→後陽成天皇 |
| 氏族 | 正親町三条家→四条家(櫛笥家) |
| 父母 |
実父:松陰居士(正親町三条公兄の子)、実母:三条西実枝の娘 養父:四条隆昌 |
| 兄弟 |
隆憲、隆致、元教? 養兄弟:隆術、藤谷為賢室、本多美濃守室 |
| 子 |
元教? 養子:隆致(同母弟) |
| 特記 事項 | 櫛笥家祖 |
四条 隆憲(しじょう たかのり)は、安土桃山時代の公家。内大臣・正親町三条公兄の孫。松陰居士の子。官位は従五位上・左近衛少将。四条家を継いだが、歴代当主には数えられない(後述)。櫛笥家祖[注釈 1]として櫛笥 隆憲(くしげ たかのり)とする場合もあるが、隆憲自身が生前に櫛笥を家名にしたわけではない。
櫛笥家祖
隆憲の死後、同母弟の隆致が家督を継いだ。しかし、慶長6年(1601年)に隆昌が釈免されて四条家当主に復帰したため、隆致は別家を立てた。これが櫛笥家である。
後世の系図では隆昌の後を隆術が継いだとするものが多く[1][2]、隆憲・隆致兄弟は隆昌が当主に復帰するまでの中継ぎとみなされたのか、四条家当主ではなく櫛笥家当主として数えられ、隆憲は櫛笥家祖とみなされる[3][4][5]。ただし、子孫の櫛笥節男は隆致を家祖としている[6]。
なお、櫛笥を家名にするのは、3代・隆朝の時からである[7]ため、隆憲の家名は、隆致が別家を立てた後も四条である。櫛笥隆憲と表記するのは全く誤りとはいえないものの課題が残る。