土倉冨士雄
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エピソード
- 土倉は1967年副社長に就任した当時から、創業者型経営者の後を継ぎ、単品経営からの脱却をめざして企業体質の改善、新しい息吹の導入に着手した。生産体制の合理化では1968年に岡山県総社市、1972年に群馬県館林市に新鋭工場を次々と建設するなどした。また、総合研究施設の建設も行った。結果として業容は安定・向上し、1973年には、ダイヤモンド社の一部上場企業経営考課ランキングにおいて第2位となった(3位までが満点で、1位は大正製薬(社長上原昭二)、3位はソニー(社長盛田昭夫))[3]。
- 同社の宣伝広告に対する評価はそれまでも高いものがあったが、土倉は当時めずらしかった外国人タレント(オズモンド・ブラザーズ、ジャネット・リン他)を積極的に起用、大好評を博し、商品はもとより企業イメージの構築に大きく貢献した。
- 土倉の信条は「企業でも政治でもあるいは文化活動でも、すべて倫理に根ざした心の豊かさということに立脚していなければならない」ということにあり、経営活動にはそのことがあらゆる場面に反映されていた[4]。
- ムーミン・アルプスの少女ハイジ他カルピスがスポンサーであったフジテレビ系列のカルピスこども劇場シリーズには、土倉自ら積極的に関わりフランダースの犬では全話の脚本をチェックしただけではなく、最終回のシーンでは自ら具体的な演出や使用音楽の指示を出す[5]などしていた。