地頭薗雅弥

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カタカナ ジトウゾノ マサヤ
ラテン文字 JITOZONO Masaya
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-09-06) 1989年9月6日(36歳)
地頭薗 雅弥
名前
カタカナ ジトウゾノ マサヤ
ラテン文字 JITOZONO Masaya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-09-06) 1989年9月6日(36歳)
出身地 千葉県船橋市[1]
身長 175cm[2]
体重 72kg[2]
選手情報
在籍チーム 日本の旗 SETAGAYA UNITED
ポジション MF
利き足 左足[1]
ユース
2005-2007 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉U-18
2008-2011 日本の旗 青山学院大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2012-2015 日本の旗 SC相模原 20 (2)
2015 日本の旗 YOKOHAMA FIFTY CLUB
2016 シンガポールの旗 アルビレックス新潟・S 22 (3)
2017 マレーシアの旗 サバFA 11 (2)
2017-2018 タイ王国の旗 ノーンブワ・ピッチャヤ 36 (4)
2019 タイ王国の旗 ラムパーンFC 0 (0)
2019 タイ王国の旗 カスタムズ・ユナイテッド 21 (3)
2020 日本の旗 FIFTY CLUB
2021 日本の旗 SHIBUYA CITY FC
2022- 日本の旗 SETAGAYA UNITED
通算 110 (14)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

地頭薗 雅弥(じとうぞの まさや、1989年9月6日 - )は、千葉県船橋市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー

ジェフユナイテッド市原・千葉のアカデミー出身。青山学院大学卒業後の2012年5月、当時関東サッカーリーグ1部であったSC相模原にアマチュア契約で加入[3]。2015年4月にYOKOHAMA FIFTY CLUB(神奈川県リーグ)へ移籍した[4]。3年間プレーして2015年に退団。

2016年アルビレックス新潟シンガポールと契約しプロ選手となった[2]

2017年、マレーシアサバFAに移籍[5]

2017年6月、タイ・リーグ2ノーンブワ・ピッチャヤFCに移籍。しかし、2018年末までの契約を結んでいたものの、2018年シーズン開幕前に突如契約解除を言い渡される。次のクラブ探しにあたってクラウドファンディングで活動費用を募った[6]

11ヶ月の無所属期間を経て、2019年1月にラムパーンFCと契約[7]

2019年7月、MOFカスタムズ・ユナイテッドFCに移籍[8]

2020年3月、古巣のFIFTY CLUBに復帰[9]

2021年、選手引退を考えていたがSHIBUYA CITY FCからオファーが届き[10]、2月9日に加入が発表[11]。会社員として働きながらサッカー選手を続けることになった[10]

2021年11月24日、SHIBUYA CITY FCを退団[12]

2022年1月1日、東京都世田谷区を本拠とするサッカークラブ「SETAGAYA UNITED」創設を発表[10]。同クラブは米澤淳司が運営に参画し、石塚啓次がクリエティブディレクターを務める。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2012相模原25関東1部82--82
2013JFL50--50
2014J370--70
201500--00
シンガポール リーグ戦 リーグ杯シンガポール杯 期間通算
2016新潟S8Sリーグ2233141295
マレーシア リーグ戦 マレーシア杯FA杯 期間通算
2017サバ1部
通算日本J3 70--70
日本JFL 50--50
日本関東1部 82--82
シンガポールSリーグ 2233141295
マレーシア1部
総通算 4253141497

エピソード

青山学院大学在学時の2011年に、ある代理人からブリーラム・ユナイテッドFCのトライアウトに誘われてバンコク近郊で練習に参加したが、本拠地でのトライアウトには参加させてもらえず練習場に放置された上に代理人とも連絡が取れなくなったことがあった。その代理人はカレン・ロバート下地奨も騙していた人物とのことである[13]

脚注

関連項目

外部リンク

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