坂本勝美

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国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県
生年月日 (1964-12-14) 1964年12月14日(61歳)
身長 158cm
坂本勝美
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県
生年月日 (1964-12-14) 1964年12月14日(61歳)
身長 158cm
体重 51kg
血液型 O型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 美浦・高木嘉夫(1984.3 - 1990.1)
美浦・フリー(1990.1 - 引退)
初免許年 1984年3月1日
免許区分 平地
騎手引退日 1998年2月28日
重賞勝利 6勝
通算勝利 3599戦289勝
調教師情報
初免許年 1998年(1999年開業)
調教師引退日 2012年11月20日
経歴
所属 美浦T.C.
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坂本 勝美(さかもと かつみ、1964年12月14日 - )は、埼玉県出身の元騎手・元調教師

かつて兵庫県競馬組合に同姓同名の騎手(坂本和也調教師の父[1])が所属していた[2]

1982年美浦・高木嘉夫厩舎に騎手候補生として入門し、1984年に騎手免許を取得して、同厩舎からデビュー。坂本は馬事公苑長期騎手課程ではなかったが、木幡初広中舘英二出津孝一鹿戸雄一谷中公一らが同期に相当する。

1年目の1984年は3月3日中山第1競走4歳以上300万下・アイズ(13頭中8着)で初騎乗[3]5月3日東京第4競走障害5歳以上未勝利・ミヤコカイザー(13頭中12着)で障害初騎乗[4]を果たし、同20日の東京第3競走4歳未勝利・ヤマキシーレインで初勝利[4]を挙げる。6月30日7月1日福島で初の2日連続勝利[5]天皇賞(秋)が行われた10月28日の東京では準メイン第9競走本栖湖特別をキクカリュウセイで勝利し[6]初の特別勝ち[5]を挙げるなど初年度から2桁の11勝[7]をマークし、3年目の1986年まで2桁勝利[7]を記録。

2年目の1985年には4月6日の中山第5競走障害5歳以上未勝利・キクカダイリュウで障害初勝利[8]同20日の東京で初の1日2勝[8]を挙げたほか、ジャパンカップデーの11月24日には東京最終第11競走4歳以上900万下をトウカンフリートで勝利[9]するなど、初の20勝台となる26勝[7]をマーク。

1986年には東京障害特別(秋)でセンゴクルビーに騎乗して2着[10]に入り、同馬に再び騎乗した1988年東京障害特別(春)[10]で重賞初勝利[11]を挙げる。

1989年には3年ぶりの2桁となる12勝をマークし、引退する1997年まで9年連続2桁勝利を記録[7]

1990年からはフリーに転向し、クイーンステークスをウィナーズゴールドで制して平地重賞初勝利[12]を挙げ、伊藤正徳厩舎も重賞初勝利[13]となった。

1991年には福島3歳ステークスで新馬勝ちから2週間後のシンコウラブリイで騎乗し、好位から4コーナーで先頭となり、追うことのないまま2連勝、レコードタイムを更新[14]。2度目の騎乗は1992年外国産馬の出走が解禁となったラジオたんぱ賞で、逃げた2頭から離れた3番手で進み、3コーナーから前の2頭に接近すると、最後の200mで抜け出して差を広げ、後続に2馬身半離して勝利[15]

1993年にはサクラシンゲキ産駒ユーワビームでカブトヤマ記念を勝利し[16]小林常泰厩舎に唯一の重賞勝利[17]をもたらした。

1992年に初の30勝を挙げると、1993年には31勝、1994年には34勝と3年連続30勝台で数字を伸ばしていき、1995年には唯一の40勝台で自己最多の46勝をマーク[7]

1994年と1995年にはタイキブリザードに騎乗し[18]、デビュー戦の手綱を取り[18]カネツクロスを4馬身ちぎり捨てた[19]。初の芝となった毎日杯[18]ではスタートが悪く後方からの競馬を強いられ、4コーナーを回って最内で行き場を失っていたところから強引に外に持ち出して2着[20]。長期休養明けの復帰初戦となった1995年の谷川岳ステークス[18]では中団の内々4、5番手からレースを進め、いつものように3コーナーあたりから行きはじめ一気に2番手、そのまま4コーナーで先頭に立って振り切り約1年ぶりの勝ち星を挙げた[20]富士ステークスではフジヤマケンザンの2着[18]に入り、有馬記念[18]では勝った菊花賞マヤノトップガンこそ捕まえられなかったものの、迫ってきたナリタブライアンは何とか抑えて2着であった[20]

1995年に新潟で行われた福島記念マイネルブリッジで制したのが最後の重賞勝利[21]となり、中央競馬最後のアラブ競走となった同年12月9日中京アラブ大賞典ではムーンリットガールに騎乗し[22]2分36秒3のレコードで逃げ切って有終の美を飾り[23]、有馬記念が行われた12月24日の中山では最終第10競走4歳以上500万下をシオーで勝利[24]

1996年には26勝[7]をマークし、有馬記念では14頭中14番人気のマイネルブリッジでサクラローレルの3着[25]に入り、周囲を驚かせた[26]

1997年には香港クイーンエリザベス2世カップに遠征したマイネルブリッジに騎乗し[27] [25]、帰国後の11月16日には東京第11競走メキシコカップ・ミッドナイトベットで9頭立てながら重賞に匹敵するメンバーが揃った一戦を好位から抜け出した[28] [29]11月22日の東京第12競走4歳以上500万下・マイネルユーベルが最後の勝利となり、12月20日の中山第12競走4歳以上900万下・ペンダイウォルトン(15頭中5着)を最後に現役を引退[30]

1999年3月1日付けで12馬房で厩舎を開業する。3月27日、初出走となった中山競馬場での第5レースは、7番人気だったオリヴァーが8着となり、4月10日中京競馬場での第7レースを1番人気だったブランドキャリーが制し、延べ3戦目で初勝利を挙げる。

2000年3月27日浦和競馬場で行われたマルチファイター特別を2番人気だったコリーナデルナが制し、地方初出走で初勝利を挙げる。

2006年12月10日にJRA通算100勝を達成。

2007年、3月より草野太郎が厩舎所属でデビュー。12月16日ルルパンブルーが中山競馬場で行われたフェアリーステークスに優勝し、調教師として初の重賞勝ちを果たした。

2012年11月20日付で調教師を勇退。その後育成牧場のミホ分場(茨城県美浦村)場長を経て、2015年10月よりJRA競馬学校教官に就任

騎手成績

通算成績1着2着3着騎乗数勝率連対率
平地 2823002673542.080.164
障害 711557.123.315
2893112723599.080.167
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1984年3月3日2回中山3日1R-アイズ13頭-8着
初勝利1984年5月20日3回東京2日3R-ヤマキシーレイン--1着
重賞初騎乗1985年6月9日3回東京8日11RエプソムCキクカリュウセイ11頭56着
重賞初勝利1988年2月13日1回東京5日9R東京障害特別(春)センゴクルビー12頭41着
GI初騎乗1990年5月20日3回東京2日10R優駿牝馬ハービンガー20頭157着

主な騎乗馬

調教師成績

脚注

関連項目

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