坂本勝美
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1982年に美浦・高木嘉夫厩舎に騎手候補生として入門し、1984年に騎手免許を取得して、同厩舎からデビュー。坂本は馬事公苑長期騎手課程ではなかったが、木幡初広・中舘英二・出津孝一・鹿戸雄一・谷中公一らが同期に相当する。
1年目の1984年は3月3日の中山第1競走4歳以上300万下・アイズ(13頭中8着)で初騎乗[3]、5月3日の東京第4競走障害5歳以上未勝利・ミヤコカイザー(13頭中12着)で障害初騎乗[4]を果たし、同20日の東京第3競走4歳未勝利・ヤマキシーレインで初勝利[4]を挙げる。6月30日・7月1日の福島で初の2日連続勝利[5]、天皇賞(秋)が行われた10月28日の東京では準メイン第9競走本栖湖特別をキクカリュウセイで勝利し[6]初の特別勝ち[5]を挙げるなど初年度から2桁の11勝[7]をマークし、3年目の1986年まで2桁勝利[7]を記録。
2年目の1985年には4月6日の中山第5競走障害5歳以上未勝利・キクカダイリュウで障害初勝利[8]、同20日の東京で初の1日2勝[8]を挙げたほか、ジャパンカップデーの11月24日には東京最終第11競走4歳以上900万下をトウカンフリートで勝利[9]するなど、初の20勝台となる26勝[7]をマーク。
1986年には東京障害特別(秋)でセンゴクルビーに騎乗して2着[10]に入り、同馬に再び騎乗した1988年の東京障害特別(春)[10]で重賞初勝利[11]を挙げる。
1989年には3年ぶりの2桁となる12勝をマークし、引退する1997年まで9年連続2桁勝利を記録[7]。
1990年からはフリーに転向し、クイーンステークスをウィナーズゴールドで制して平地重賞初勝利[12]を挙げ、伊藤正徳厩舎も重賞初勝利[13]となった。
1991年には福島3歳ステークスで新馬勝ちから2週間後のシンコウラブリイで騎乗し、好位から4コーナーで先頭となり、追うことのないまま2連勝、レコードタイムを更新[14]。2度目の騎乗は1992年に外国産馬の出走が解禁となったラジオたんぱ賞で、逃げた2頭から離れた3番手で進み、3コーナーから前の2頭に接近すると、最後の200mで抜け出して差を広げ、後続に2馬身半離して勝利[15]。
1993年にはサクラシンゲキ産駒ユーワビームでカブトヤマ記念を勝利し[16]、小林常泰厩舎に唯一の重賞勝利[17]をもたらした。
1992年に初の30勝を挙げると、1993年には31勝、1994年には34勝と3年連続30勝台で数字を伸ばしていき、1995年には唯一の40勝台で自己最多の46勝をマーク[7]。
1994年と1995年にはタイキブリザードに騎乗し[18]、デビュー戦の手綱を取り[18]、カネツクロスを4馬身ちぎり捨てた[19]。初の芝となった毎日杯[18]ではスタートが悪く後方からの競馬を強いられ、4コーナーを回って最内で行き場を失っていたところから強引に外に持ち出して2着[20]。長期休養明けの復帰初戦となった1995年の谷川岳ステークス[18]では中団の内々4、5番手からレースを進め、いつものように3コーナーあたりから行きはじめ一気に2番手、そのまま4コーナーで先頭に立って振り切り約1年ぶりの勝ち星を挙げた[20]。富士ステークスではフジヤマケンザンの2着[18]に入り、有馬記念[18]では勝った菊花賞馬マヤノトップガンこそ捕まえられなかったものの、迫ってきたナリタブライアンは何とか抑えて2着であった[20]。
1995年に新潟で行われた福島記念をマイネルブリッジで制したのが最後の重賞勝利[21]となり、中央競馬最後のアラブ競走となった同年12月9日の中京・アラブ大賞典ではムーンリットガールに騎乗し[22]2分36秒3のレコードで逃げ切って有終の美を飾り[23]、有馬記念が行われた12月24日の中山では最終第10競走4歳以上500万下をシオーで勝利[24]。
1996年には26勝[7]をマークし、有馬記念では14頭中14番人気のマイネルブリッジでサクラローレルの3着[25]に入り、周囲を驚かせた[26]。
1997年には香港のクイーンエリザベス2世カップに遠征したマイネルブリッジに騎乗し[27] [25]、帰国後の11月16日には東京第11競走メキシコカップ・ミッドナイトベットで9頭立てながら重賞に匹敵するメンバーが揃った一戦を好位から抜け出した[28] [29]。11月22日の東京第12競走4歳以上500万下・マイネルユーベルが最後の勝利となり、12月20日の中山第12競走4歳以上900万下・ペンダイウォルトン(15頭中5着)を最後に現役を引退[30]。
1999年、3月1日付けで12馬房で厩舎を開業する。3月27日、初出走となった中山競馬場での第5レースは、7番人気だったオリヴァーが8着となり、4月10日に中京競馬場での第7レースを1番人気だったブランドキャリーが制し、延べ3戦目で初勝利を挙げる。
2000年、3月27日に浦和競馬場で行われたマルチファイター特別を2番人気だったコリーナデルナが制し、地方初出走で初勝利を挙げる。
2007年、3月より草野太郎が厩舎所属でデビュー。12月16日、ルルパンブルーが中山競馬場で行われたフェアリーステークスに優勝し、調教師として初の重賞勝ちを果たした。
2012年、11月20日付で調教師を勇退。その後育成牧場のミホ分場(茨城県美浦村)場長を経て、2015年10月よりJRA競馬学校教官に就任。
騎手成績
| 通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 平地 | 282 | 300 | 267 | 3542 | .080 | .164 |
| 障害 | 7 | 11 | 5 | 57 | .123 | .315 |
| 計 | 289 | 311 | 272 | 3599 | .080 | .167 |
| 日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 初騎乗 | 1984年3月3日 | 2回中山3日1R | - | アイズ | 13頭 | - | 8着 |
| 初勝利 | 1984年5月20日 | 3回東京2日3R | - | ヤマキシーレイン | - | - | 1着 |
| 重賞初騎乗 | 1985年6月9日 | 3回東京8日11R | エプソムC | キクカリュウセイ | 11頭 | 5 | 6着 |
| 重賞初勝利 | 1988年2月13日 | 1回東京5日9R | 東京障害特別(春) | センゴクルビー | 12頭 | 4 | 1着 |
| GI初騎乗 | 1990年5月20日 | 3回東京2日10R | 優駿牝馬 | ハービンガー | 20頭 | 15 | 7着 |