坂田重次郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
出雲国仁多郡三成村[1](現島根県奥出雲町)で旧家の金坂太八郎の次男として生まれる。兄の金坂儀一郎は村長を務めた。小学校卒業後大志を抱き上京したが、資金が尽きたため帰郷した。島根県師範学校に入学し3年間在学したが、休校となったため退学。1890年に坂田マスの養子となり坂田姓となる。1894年に高等商業学校(後の東京高等商業学校、一橋大学)本科卒業後、1896年第3回高等文官試験(外交科)に合格し、外務省入省[2][3]。
高等商業学校在学中、1893年に学校から旅費を支給され、同校学生の福田徳三(のちに経済学者)とともに栃木県、群馬県、長野県、新潟県、富山県、石川県、福井県に視察に行った[4]。のちに福田徳三が失職し、生計に困っていた際には、外務省の翻訳の仕事を斡旋した。
外交官補だった1898年にフィラデルフィアなどで秋山真之(のちに海軍中将)と交友をもった[5]。
1904年から始まった日露戦争では、外務省政務局で、山座円次郎局長を補佐し、対露開戦外交や、日露ポーツマス講和会議にたずさわる。1905年には在イギリス日本大使館の第二秘書官を務める[6]。
1911年外務省通商局長[3]。1917年から在スペイン国特命全権公使となるが、1919年11月26日スペインのマドリードで死去。墓所は青山霊園[7]。