森島守人
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石川県金沢市の医師 森島彦夫・民生夫妻の長男として生まれる。金沢第一中学校、第一高等学校を経て、1919年、東京帝国大学法学部独法科を卒業。同年外務省入省。1928年から1935年まで、ハルビン総領事及び奉天総領事代理を務めた。1931年9月、奉天近郊で起きた柳条湖事件(時の外相は幣原喜重郎)から翌1932年3月の満洲国成立までに至る対応で苦慮し、1933年2月に蜂谷輝雄が奉天総領事に着任した。
その後ドイツ大使館一等書記官を経て、1937年4月東亜局長、翌月北京・上海大使館参事官、1939年米国大使参事官、1941年ニューヨーク総領事、1942年ポルトガル公使を務めた。
1946年に外務省を退官。1955年に神奈川3区から日本社会党左派で衆議院議員に初当選。統一後の日本社会党では党国際局事務局長、外支部長、政策審議会外務部長を務めた。
1971年4月の春の叙勲で勲二等旭日重光章を受章する[1]。
1975年2月17日、死去。79歳没。同月21日、特旨を以て位一級を追陞され、死没日付で正四位から従三位に叙された[2]。
親族
栄典
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[4]
著書
- 『陰謀・暗殺・軍刀 一外交官の回想』岩波新書 1950(単行判1984)。復刊1998年ほか ISBN 9784004150725
- 『真珠湾・リスボン・東京 続一外交官の回想』岩波新書 1950(単行判1984)。復刊1998年ほか ISBN 9784004150732。2017年にポルトガル語訳が刊行[5]