延宝7年(1679年)、常陸下館藩主・増山正弥の長男として生まれる。幼名は大助、通称は内記。元禄5年(1692年)10月28日、将軍徳川綱吉に御目見する。元禄10年12月18日(1698年)、従五位下・対馬守に叙任する。宝永元年(1704年)7月12日、父の死去により跡を継ぐ。同年8月25日、弟正元へ蔵米1000俵を支給し、旗本とする。
宝永2年(1705年)6月10日、初めてお国入りする許可を得る。しかし宝永4年(1707年)10月の大地震、宝永5年(1708年)の地震、宝永6年(1709年)の大風雨、正徳元年(1711年)、正徳4年(1714年)、享保5年(1720年)、享保7年(1722年)の風水害で藩は大被害を受け、荒廃した。このため、藩士に堤防を警備させ、治水工事を行なうなどしている。
佐藤直方や三宅尚斎ら多くの学者・武術者を招聘して文武を奨励し、藩士の教育化に努めた。また、連年風水害による凶作に備えて義倉を設置し、90歳以上の老人には扶持を与えるなど、当時としては革新的な福祉政策も採用した。
享保8年(1723年)2月25日、奏者番に就任する。寛保元年(1741年)10月13日、奏者番を辞職し、鴈間詰めとなる。寛保2年(1742年)4月7日、病気のため次男の正武に家督を譲って隠居し、延享元年(1744年)7月3日に死去した。享年66。