増谷文雄
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- 出生から修学期
1902年、福岡県小倉市(現・北九州市小倉)で生まれた[1]。幼名茂樹 小学校4年のころ文雄(ぶんゆう)と称して度牒をさずけられた。(『新しい仏教のこころ』P.14)
第五高等学校を経て、東京帝国大学文学部宗教学科に進んだ。1925年に卒業[2]。
- 仏教学研究者として
卒業後は、浜松高等工業学校で教職に就いた。その後、東京外国語大学教授となった。東京大学・立教大学・東京教育大学の各講師、大正大学教授などを務めた[1][2]。1961年、学位論文『アーガマ資料による仏陀の生涯の研究』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得[3]。1969年1月10日、都留文科大学第3代学長に就いた[4]。1971年4月に学長退任。
研究内容・業績
専門は仏教学ならびに比較宗教学。原始仏教関係では、博士論文であった「アーガマ資料による佛伝の研究」から研究をスタートさせた。戦前に数冊、オックスフォード大学の宗教学者エストリン・カーペンター(1844~1927)の著作を訳しており、早くから宗教思想史・比較宗教学の視点から仏教論考・仏伝を研究していた。
著書『根本仏教の研究』、親鸞や道元研究では『正法眼蔵 訳注』が良く知られている。著訳書は新装版での再刊も含めると、約80冊以上刊行されており、著作の多くは角川書店で刊行された『増谷文雄著作集』(全12巻)にまとめられている。また、一般向けでNHKラジオ等で仏教に関する講義や、講演を積極的に行っていた。