増谷文雄

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生誕 (1902-02-16) 1902年2月16日
日本の旗 日本福岡県
死没 1987年12月6日(1987-12-06)(85歳没)
研究分野 仏教学
増谷 文雄
人物情報
生誕 (1902-02-16) 1902年2月16日
日本の旗 日本福岡県
死没 1987年12月6日(1987-12-06)(85歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 仏教学
研究機関 東京外国語大学大正大学都留文科大学
学位 文学博士
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増谷 文雄(ますたに ぶんゆう 1902年2月16日 - 1987年12月6日)は、日本仏教学者翻訳家都留文科大学第3代学長。

出生から修学期

1902年、福岡県小倉市(現・北九州市小倉)で生まれた[1]。幼名茂樹 小学校4年のころ文雄(ぶんゆう)と称して度牒をさずけられた。(『新しい仏教のこころ』P.14)

第五高等学校を経て、東京帝国大学文学部宗教学科に進んだ。1925年に卒業[2]

仏教学研究者として

卒業後は、浜松高等工業学校で教職に就いた。その後、東京外国語大学教授となった。東京大学・立教大学東京教育大学の各講師、大正大学教授などを務めた[1][2]。1961年、学位論文『アーガマ資料による仏陀の生涯の研究』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得[3]。1969年1月10日、都留文科大学第3代学長に就いた[4]。1971年4月に学長退任。

学界では、日本宗教学会会長、国際宗教研究所理事長を務めた。

研究内容・業績

専門は仏教学ならびに比較宗教学原始仏教関係では、博士論文であった「アーガマ資料による佛伝の研究」から研究をスタートさせた。戦前に数冊、オックスフォード大学宗教学者エストリン・カーペンター英語版(1844~1927)の著作を訳しており、早くから宗教思想史・比較宗教学の視点から仏教論考・仏伝を研究していた。

著書『根本仏教の研究』、親鸞道元研究では『正法眼蔵 訳注』が良く知られている。著訳書は新装版での再刊も含めると、約80冊以上刊行されており、著作の多くは角川書店で刊行された『増谷文雄著作集』(全12巻)にまとめられている。また、一般向けでNHKラジオ等で仏教に関する講義や、講演を積極的に行っていた。

著作

参考資料

注釈・出典

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