夏后履癸(桀王)は即位後、既に従わなくなっていた諸侯や民を武断統治により治めた。その結果として、人心はより夏から離れていった。斟鄩に都し有施氏を討ったが、有施氏の降伏の際に献上された末喜[注釈 3]を溺愛し、肉山脯林[注釈 4]と呼ばれる豪勢な宴会を催し、自身を太陽に擬えたため、諸侯の不興を買った[2]。
そして子履を投獄した。子履は方伯として仕えつつ、葛伯などの諸侯を討っていた。その後釈放された子履は妻の使用人から宰相となった伊尹とともに、諸侯の支持を得て鳴条の戦いで桀と戦い、桀を追放した[注釈 5]。桀は南巣(巣湖周辺)まで逃れたが、やがて死んだという[2]。