昭襄王26年(紀元前281年)、昭襄王の後の太子安国君こと公子柱[1](後の孝文王)の妾として、異人(後の荘襄王)を産むが寵愛を失い、異人は趙への人質として趙の邯鄲に送られる。
安国君には夏姫の産んだ異人の他にも20人近い公子が居たが、呂不韋の活動により安国君の正室である華陽夫人に異人が養子として迎えられ[2]、次の秦の太子となる事が決まる。
孝文王元年(紀元前250年)、孝文王が即位後3日で薨去して子楚が荘襄王として即位すると、子楚の養母である華陽夫人が華陽太后となり、生母の夏姫も夏太后と呼ばれることになる。
秦王政7年(紀元前240年)、薨去。