多聞寺 (東久留米市)
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 多聞寺 | |
|---|---|
|
| |
| 所在地 | 東京都東久留米市本町4-13-16 |
| 位置 | 北緯35度45分17.7秒 東経139度31分45.5秒 / 北緯35.754917度 東経139.529306度座標: 北緯35度45分17.7秒 東経139度31分45.5秒 / 北緯35.754917度 東経139.529306度 |
| 山号 | 宝塔山 |
| 院号 | 吉祥院 |
| 宗旨 | 真言宗 |
| 宗派 | 智山派 |
| 本尊 | 毘沙門天 |
| 創建年 | 元仁年間[注釈 1] |
| 開山 | 祐観 |
| 正式名 | 宝塔山多聞寺 |
| 札所等 |
多摩四国八十八箇所37番 武蔵野三十三観音霊場5番 東久留米七福神[1] |
| 文化財 |
多聞寺三代住職逆修供養板碑(市・有形) 南沢獅子舞(市・無形) |
| 法人番号 | 7012705000374 |
境内
境内の中央に本堂があり、南面中央に山門、その右手に庫裡、左手に薬師堂がある[3]。
本堂
皇国地誌では康元元年(1256年)に創建とされ、3度の大火にあって延喜3年(1945年)に再建され、現在の本堂は1975年(昭和50年)6月に鉄筋コンクリートで建替えられた[3]。
薬師堂
堂内には薬師如来はじめ、木造の地蔵菩薩、弁財天などが保存されていた。もとは毘沙門堂であった[3]。薬師堂前の六地蔵尊には左より「地持」「陀羅尼」「法性」「法印」「鶏亀」「寶性」と記されている。

山門

この門は、天保年間、村の欅を落合川に流して江戸まで運び、彫師に獅子の彫り物を彫らせ、近隣在住の西川家祖先の大工により作られたとの伝承あり。嘉永5年(1852年)の多聞寺建替えの際に再建された。東久留米市の指定文化財。なお、再建の際の古門は田無の観音寺(現総持寺)に譲り渡されたが、現存していない[3]。
文化財
多聞寺三代住職逆修供養板碑
多聞寺三代住職逆修供養板碑(たもんじさんだいじゅうしょくぎゃくしゅうくよういたび)は室町時代作。多聞寺の開発(かいほつ。寺伝では中興初代)から三代までの住職の板碑。現存寺院と関係のある板碑は極めて稀で珍しい。
- 開発亮慶(りょうけい)[注釈 2]法印のものは明応7年(1498年)作。高さ101センチメートル、幅27.5センチメートル。
- 第二住亮真(りょうしん)法印のものは大永5年(1525年)作。高さ112センチメートル、幅27.7センチメートル。
- 第三住賢栄(けんえい)法印のものは天文20年(1551年)作。高さ131センチメートル、幅35.5センチメートル。
いずれも生前に仏事を修して死後の冥福を祈った逆修板碑である。 1981年(昭和56年)に東久留米市の有形文化財(第5号)に指定された[4]。
南沢獅子舞
江戸時代初期頃から旧南沢村に伝わる伝統芸能で、東久留米市指定無形民俗文化財。毎年9月15日の氷川神社の秋祭りに、五穀豊穣と悪疫退散を祈願して村をあげて盛大に行われた。現在は10月14日の夜は多聞寺で練習の総仕上げの「揃い獅子」、15日の昼は氷川神社の境内で、同夜は多聞寺で演じられる。南沢獅子舞には獅子の他に太刀(たち)、世流布(せりふ)、神楽(かぐら)、万歳(まんざい)等の芸能が行われる[5][6]。
年中行事
- 10月15日 南沢獅子舞