多賀宮
三重県伊勢市豊川町にある神社
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概要


多賀宮(たかのみや)は外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)にある[4]。別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。
外宮の別宮は多賀宮のほか、境内に土宮(つちのみや)と風宮(かぜのみや)、境外に月夜見宮(つきよみのみや)があるが(合計四所)[5]、多賀宮がもっとも古く、外宮の4別宮のうち、『止由気宮儀式帳』(804年)と『延喜式神名帳』に記載されているのは多賀宮のみである[6]。祭神が外宮の祭神の豊受大御神の荒魂である豊受大御神荒魂(とようけのおおみかみのあらみたま)であることから、4別宮の中で最高位とされる[1][2]。
正宮前の池の横の亀石を過ぎ[7]、土宮と風宮の間にある石段を98段登った丘の上に多賀宮がある[8]。亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられている。多賀宮の前の参道には、寝地蔵さんと呼ばれる、地蔵菩薩のように見える石がある[9][10]。
足腰が悪く丘の上に登れない者のために、麓の池のほとりに多賀宮遥拝所が設けられている。
祭神
歴史
由緒は定かではないが、雄略天皇22年(478年)の外宮創祀と同時に創建されたと伝えられている[1][17]。 神宮ではおおむね高宮(たかのみや)と呼称されていたが[1][17]、明治以降は『延喜大神宮式』を基準としたため『高宮』の表記は廃止され、多賀宮のみの標記となった[2]。縁起のよい字を当て多賀宮(たかのみや)になったともいう。従って多賀大社(こちらは「たが」と濁って読む)やその祭神である伊邪那岐命・伊邪那美命とは関係がない。ただし豊受大神荒魂(多賀宮祭神)は伊弉諾命が禊祓した際に誕生した伊吹戸主の別名ともされる[15]。
多賀宮専用の忌火屋殿があったが、明治に廃止された[2]。第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)7月29日、宇治山田空襲により御階が燃えたものの、警備隊が体をこすりつけて消火し、社殿は無事であった[18]。
祭事
社殿
多賀宮の社殿[20]は外宮に準じ外削ぎの千木と、5本で奇数の鰹木を持つ萱葺の神明造で南面している。遷宮のための古殿地(新御敷地)は東西に隣接している。
