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大仏駅

奈良県添上郡佐保村にあった駅 From Wikipedia, the free encyclopedia

大仏駅(だいぶつえき)は、かつて奈良県添上郡佐保村(現・奈良市)の関西鉄道線(通称:大仏線)に存在した駅(廃駅)である。

所在地 奈良県添上郡佐保村(現・奈良市)
北緯34度41分27.6秒 東経135度49分20.0秒[1]
所属路線 関西鉄道線(大仏線)
キロ程 8.8 km(加茂起点)
概要 大仏駅, 所在地 ...
大仏駅
だいぶつ
Daibutsu
◄加茂 (8.8 km)
(1.1 km) 奈良►
所在地 奈良県添上郡佐保村(現・奈良市)
北緯34度41分27.6秒 東経135度49分20.0秒[1]
所属事業者 関西鉄道
所属路線 関西鉄道線(大仏線)
キロ程 8.8 km(加茂起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1898年(明治31年)4月19日
廃止年月日 1907年(明治40年)8月21日
備考 キロ程は木津川市HPより[2]
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なお本記事では、大仏駅のあった関西鉄道の短絡線でる大仏線および、大仏線の近代土木遺構として木津中央地区(現城山台ニュータウン)に市民活動により区間保存された赤橋、梶ヶ谷隧道ついても解説する。

歴史

関西鉄道による奈良駅への乗り入れに伴い開設された駅である(後述の大仏線参照)。駅名は東大寺にある大仏にちなんだものであり、関西鉄道が奈良駅と区別した上で観光アピールに用いるため、この名称をつけたと言われる。大仏駅は、東大寺の西方に1.8 km離れた所にあって、転害門が主要な入口であった。駅前広場には、東大寺に向かう多数の人力車が待機していたと伝えられている。なお開業時には、「名古屋大仏(奈良)間全通シ大和廻リニ便利ナリ」という広告が市販の時刻表に掲載された。

年表

駅構造

駅の諸設備は築堤上に置かれ、旅客ホーム1面1線、機回り線、貨物ホーム1面1線という構成で、旅客ホームに到着する発着線から機回り線を分岐する分岐器は10番、機回り線からさらに西側の貨物扱線へ分岐する分岐器は8番を使用し、駅構内の奈良寄りは佐保川に接していた。

駅周辺

大仏駅は現在の奈良市立佐保小学校が設けられている東側付近、一条街道との交点に設けられていた。駅跡の南端に当たる奈良市法蓮町には「大仏鉄道記念公園」(現地看板は「大佛鐡道」表記)が設けられており、公園内に記念モニュメントがある。

隣の駅

関西鉄道
関西鉄道線(大仏線)
加茂駅 - 大仏駅 - 奈良駅

大仏線

概要 大仏線, 基本情報 ...
大仏線
基本情報
国 日本の旗 日本
起点 加茂駅
終点 奈良駅
開業 1898年(明治31年)4月19日
廃止 1907年(明治40年)8月21日
運営者 関西鉄道
路線諸元
路線距離 9.9 km
軌間 1,067 mm (狭軌)
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さらに見る 停車場・施設・接続路線(廃止当時) ...
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
eABZq+l BHFq
0.0 加茂駅
exTUNNEL1
黒髪山トンネル
exBHF
8.8 大仏駅
eABZql BHFq
9.9 奈良駅
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経路変遷図

大仏線(だいぶつせん)は、かつて関西鉄道の一部であった加茂 - 大仏 - 奈良間の通称で、大仏鉄道(だいぶつてつどう)と言われる場合もある。

全国各地で鉄道の敷設が進む中、奈良周辺においては、1890年12月27日に(初代)大阪鉄道の手で関西本線湊町(現在のJR難波) - 天王寺 - 奈良間が開業し、その後の1896年4月18日には奈良鉄道の手で現在の奈良線にあたる京都 - 木津 - 奈良間の路線が開業していた。

一方、関西鉄道は名古屋方面から大阪方面への路線網の拡大を進めていた。1895年11月7日までに現在の草津線・関西本線にあたる草津 - 柘植 - 名古屋間を開通させ、さらに奈良・大阪方面への進出を図った。1897年には片町 - 京橋 - 四条畷間を運営していた浪速鉄道を合併し、翌1898年には網島 - 四条畷 - 祝園 - 新木津 - 加茂間を開業させ、名古屋方面と大阪方面を結ぶ経路を形成した。

これと並行して、関西鉄道は加茂から南進して奈良へ乗り入れる路線の建設を進めた。しかし奈良駅にはすでに大阪鉄道と奈良鉄道が乗り入れており、関西鉄道の乗り入れには駅施設の拡張や3社間の調整、官公庁への認可手続きなどが必要となった。このため関西鉄道は、奈良駅への乗り入れに先立って加茂 - 大仏間を開業し、大仏駅を奈良方面への暫定的な終着駅とした。

1899年5月21日には3社間の協定が成立し、大仏 - 奈良間が開通して関西鉄道の奈良駅乗り入れが実現した。これにより、加茂 - 大仏 - 奈良間が一つの鉄道路線として結ばれた。

1900年には関西鉄道が大阪鉄道を合併し、奈良 - 天王寺 - 湊町間を自社線とした。これによって、名古屋 - 加茂 - 大仏 - 奈良 - 天王寺 - 湊町間を関西鉄道の列車が直通して運行できるようになり、大仏線は名古屋方面と奈良・大阪方面を結ぶ経路の一部として使用された。一方、大仏駅については、奈良駅への直接乗り入れが可能となったことで、暫定的な終着駅としての役割を失い、利用者が減少していった。

1903年には大阪で第5回内国勧業博覧会が開催され、関西鉄道も博覧会輸送を行った。この時期にも名古屋方面と大阪方面を結ぶ直通輸送に大仏線が使用されており、同線は名阪間を結ぶ関西鉄道の経路の一部として機能していた。

その後、大仏線の存廃に大きな影響を与えたのが、1905年の奈良鉄道の合併である。関西鉄道が奈良鉄道の京都 - 木津 - 奈良間を自社線に組み込んだことにより、加茂と木津を直接結べば、既存の木津 - 奈良間を利用して加茂から奈良へ至る新たな経路を構成することが可能となった。

加茂 - 大仏 - 奈良間の従来線は、黒髪山付近に25パーミル(‰)の急勾配を有していた。当時の蒸気機関車にとって、上り勾配では燃料消費が大きく、下り勾配では制動上の負担となるなど、列車運行上の隘路となっていた。

このため関西鉄道は、加茂から木津へ接続し、木津 - 奈良間の旧奈良鉄道線を利用する経路への変更を進めた。新しい経路は大仏経由より約3.2km長くなったものの、急勾配を避けることができ、所要時間を大きく変えることなく運行することが可能であった。

1907年、加茂 - 木津間の新線開業に伴って列車の運行経路は加茂 - 大仏 - 奈良間から加茂 - 木津 - 奈良間へ変更され、大仏線はその役割を終えた。同時に新木津 - 加茂間も使用されなくなり、木津駅に現在の関西本線・片町線・奈良線につながる各路線が集まる鉄道網の基本形が形成された。

廃線後の状況

梶ヶ谷隧道(2017年8月)

大仏線廃止以降、木津町内区間は町道下梅谷鹿背山線として里山内の生活道路として利用されていた。

UR都市機構の実施する関西文化学術研究都市の木津精華地区のクラスターの一つである木津中央地区(現:城山台ニュータウン)の開発により、町道下梅谷鹿背山線の拡幅が計画されていた。これにより、赤橋、梶ヶ谷隧道の2つの近代土木遺産が取り壊しの危機にあった[3]。

2002年には、大仏鉄道の遺構や關西鐵道会社の資料の収集・調査・研究・知名度の向上を目的として木津川市、奈良市の市民により「大佛鐵道研究会」が発足した。同会は現地調査や遺構探索、広報などの活動を行い、初代会長は野邊孝男(木津川市)が務めていた。同会は、大仏鉄道の遺構を巡るウォークなどの活動を通じて、大仏鉄道に関する木津川市民および奈良市民の認知向上に取り組んだ。

また、岩﨑博(同会副会長、建築家、元奈良市都市計画審議会委員)を中心に奈良市法蓮町の旧大仏駅付近にある通称「車輪公園」について、地元自治会などとともに「大佛鐵道記念公園」の名称表示に関わる活動を行い、2007年に奈良市によって標識板が設置された

同会は研究成果をまとめた『大仏鉄道物語―明治のロマン・美しい山里』を制作し、2005年に奈良町資料館から刊行された。また、同会は、UR都市機構に対して、都市計画道路下梅谷鹿背山線の法線変更の提案を実施した。

大佛鐵道研究会の草の根活動に呼応して、実際にこれを保存するため木津中央地区土地区画整理事業地権者を含む「鹿背山の大仏鉄道遺産に親しむ会」(京都府木津川市鹿背山、冨永禎一会長)が発足し、2008年1月19日に木津川市と都市再生機構(UR)西日本支社に現状保存の申し入れが行われた。これにより、ニュータウン内の城山台公園(大仏鉄道公園)に隣接した2つの大仏鉄道の近代化土木遺産(赤橋、梶ヶ谷隧道)が区間保存されることとなった。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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